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「どうする家康」さらば狼、ありがとう我が友。第28回放送「本能寺の変」振り返り:2ページ目
本能寺の変に黒幕はいなかった?
さて、本能寺の変と言えばみんな大好き黒幕説。光秀はあくまで実行犯に過ぎず、彼を裏から操っていた黒幕は本当にいたのでしょうか。
この四百数十年にわたり議論が紛糾し、今なお決着を見ませんが、ここでは「黒幕などいない。あくまで光秀の単独犯行だった」と考えます。
その理由はざっくり以下の通りです。
(1)黒幕がいるなら、光秀と信長暗殺を共謀したはず。その接点がない。
(2)信長暗殺について、日時や場所、段取りなど具体的な計画がない。
(3)黒幕が信長暗殺の前後に光秀を支援した形跡がない。
そしてこれらを裏づける史料も、今のところ発見されていません(もしご存知でしたらご教示下さい。また、今後発見される可能性もゼロではないでしょう)。
互いに連絡もとらず、謀叛を共謀するなど不可能です。こうした事から、本能寺の変はあくまで光秀の単独犯行と考えられます。
本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】
光秀はなぜ謀叛を起こした?
それでは、光秀が謀叛に踏み切ったのはなぜでしょうか。
劇中では家康の言いがかりによって饗応役を解任されたから、のように描かれていました。いわゆる怨恨説です。
しかし、闇雲に挙兵して勝てる相手でないことは、光秀とて百も承知。
その後の展開はさておき、まず信長暗殺に成功するであろう条件は、おおむね以下の通りです。
(1)織田家の重臣たち(柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、滝川一益ら)がみんな出払っていること。
(2)光秀だけが十分な兵力を持って信長の近くにいること。
(3)そして信長と嫡男の織田信忠(のぶただ)が同時に討てる状態であること。
※信長は既に家督を信忠に譲っていたため、カリスマ性はともかく実務的には信長がいなくなっても支障はありませんでした。
光秀が秀吉の援軍を命じられたのが5月17日ですから、それ以前に軍勢を用意することは出来ません(謀叛を疑われるため)。
しかしいざ兵を集めてみたら、先の条件が偶然にも揃っていたのです。
まさに千載一遇、これを逃したら次はない。だから光秀は挙兵に踏み切り、信長を討ったのですが、そもそもなぜ討とうと思ったのでしょうか。
それまで光秀は対四国平定における外交を担当していましたが、四国情勢が変わったことから信長が方針を転換。
四国征伐の方面司令官には織田信孝(おだ のぶたか。信長三男)と丹羽長秀(にわ ながひで)が任じられました。
それまで窓口であった光秀では、矛先が鈍ると思われたのでしょうか。
役目を外され、秀吉への援軍という降格とも言える人事に前途を絶望した光秀が、起死回生を賭けた挙兵と見られます。
これが四国政策転換説として、近年の研究で有力視されているそうです。
本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【後編】
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