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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」さらば狼、ありがとう我が友。第28回放送「本能寺の変」振り返り

「どうする家康」さらば狼、ありがとう我が友。第28回放送「本能寺の変」振り返り:4ページ目

家康と共謀した?堺の巨頭たち

さて、家康が根回しのために訪ねた堺の有力者たち。

劇中では津田宗及(演:山上賢治)や松井友閑(演:村上かず)が登場。今井宗久(いまい そうきゅう)は言及のみでした。

果たして、彼らはどんな人物なのでしょうか。ざっくり見ていきましょう。

津田宗及(山上賢治)

生年不詳〜天正19年(1591年)4月20日没

千利休(せんの りきゅう)・今井宗久と並び天下三宗匠と称された茶人です。

堺の豪商・津田宗達(つだ そうたつ)の子で、屋号は天王寺屋。茶匠として名高い武野紹鴎(たけの じょうおう)の門人であった父に茶の湯を学びました。

元は石山本願寺(いしやまほんがんじ)や三好政康(みよし まさやす)らとつながりを持っていたものの、やがて勢力を伸ばした信長に接近。茶の湯を通じて重用されます。

信長の茶会に招待されたり、秘蔵の名器を拝見させてもらえたり、また信長が堺の自邸を訪ねるなど深く親交していました。

信長の死後は羽柴秀吉に仕え、北野大茶会などを開いています。

松井友閑(村上かず)

生没年不詳

山城国松井城主・松井長之の次男として誕生しました。

室町幕府に仕えていましたが、第13代・足利義輝(あしかが よしてる)が暗殺されると信長に仕えるようになります。

やがて信長の右筆(書記官)となって信任を得、畿内の事情に通じていることから対堺の窓口を担当。豪商らより名物茶器を献上させました。

茶の湯に嗜みがあることから天正6年(1574年)の相国寺茶会では茶頭を務め、また正倉院より蘭奢待(らんじゃたい。香木)を拝受する奉行も拝命します。

やがて堺の代官となって権勢を振るい、津田宗及らとも親交を深めました。

また外交方面でも活躍し、上杉・三好・本願寺らと交渉。他にも謀叛を起こした松永久秀(まつなが ひさひで)や荒木村重(あらき むらしげ)の説得にも当たっています。

更には遠く奥州の伊達輝宗(だて てるむね)や九州の大友宗麟(おおとも そうりん)と接触するなど、まさに東奔西走でした。

本能寺の変が起きた時は、堺で家康と茶会を開いており、やがて羽柴秀吉に仕えます。

しかし天正14年(1586年)にいきなり罷免され、以来歴史の表舞台から姿を消したのでした。

今井宗久(いまい そうきゅう)

永正17年(1520年)生~文禄2年(1593年)8月5日没

大和国高市郡今井村(奈良県橿原市)に生まれ、立志して堺の納屋宗次(なや むねつぐ)に身を寄せます。

武野紹鴎に茶の湯を学んで才覚をあらわし、やがて娘婿となって家財や茶器などを譲られました。

やがて足利義昭(演:古田新太)に近侍した宗久は、やがて勢力を伸ばした信長に逸早く賛同し、その信任を得て重用されます。

信長の死後も羽柴秀吉に仕えて御伽衆を務め、また茶頭として北野大茶会に協力しました。

津田宗及・千利休に並ぶ天下三宗匠と呼ばれましたが、秀吉は千利休や小西隆佐(こにし りゅうさ)らを重んじたため、信長時代ほどの栄華は得られなかったようです。

織田信長が茶の湯を学んだ天下三宗匠の一人・今井宗久とは何者?【どうする家康】

NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも観ていますか?筆者は毎週欠かさず観ており、徳川家康(演:松本潤)が早く天下人の器に成長してくれないか、いつも楽しみにしています。さて、戦国時代の教養と…

……こうしてざっと見る限り概ね信長派の人間ばかり。基本的に(少なくとも表向きは)特定勢力に肩入れしない商人としては、もし家康が堺で謀叛の根回しを持ちかけても、あまりいい顔はしなかったことでしょう。

5ページ目 家康三大危機の大トリ「神君伊賀越え」スタート!

 

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