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「どうする家康」さらば狼、ありがとう我が友。第28回放送「本能寺の変」振り返り:3ページ目
『信長公記』に見る信長の最期
さて、信長の最期については後世様々な創作がドラマチックに描かれてきました。
ここでは信長の側近・太田牛一(おおた ぎゅういち)の記した『信長公記』を紹介します。
六月朔日(原文ママ。前日条にも朔日とあるため二日の誤記)……(中略)……信長初尓ハ御弓を取合二三つ遊し候へハ何れも時刻到来候而御弓之弦切其後御鎗尓て被成御戦御肘尓被鎗疵引退是迄御そは尓女付そひて居申候を女ハくるし可らす急罷出よと被仰追出させられ既 御殿に火を懸焼来候御姿を御見せ有間敷と被思食候■殿中奥深く入給ひ内よりも御南戸之口を引立無情御腹めされ……
※『信長公記』巻之一五(天正一〇年壬午)(三十二)信長公本能寺尓て御腹めされ候事
信長は迫り来る明智勢を前に弓を取って2、3ばかり射止めましたが、弦が切れてしまったので槍に持ち替え奮戦します。
しかし肘に敵の槍を受けてしまい、抗戦を諦めて奥にいる女性たちを逃がしました。
そして殿中に火をかけると奥へ入り、納戸の錠を下ろして腹を切って果てました。
本能寺と言えばお約束の「是非に及ばず」や、人間五十年の幸若舞「敦盛」なども観たかったですね。
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