手洗いをしっかりしよう!Japaaan

「鎌倉殿の13人」鎌倉を火の海に。ついに勃発、和田合戦!第41回放送「義盛、お前に罪はない」予習

「鎌倉殿の13人」鎌倉を火の海に。ついに勃発、和田合戦!第41回放送「義盛、お前に罪はない」予習:6ページ目

5月3日・その三「泰時、禁酒(ただし少しなら可)を誓う」

こうして幕を下ろした和田合戦。義時は金窪行親(かなくぼ ゆきちか)・安東忠家(あんどう ただいえ)に命じて首実検を行ないます。

もうすっかり暗くなっていたので松明を灯し、由比ヶ浜の波打ち際に義盛はじめ和田一族の首級をずらりと並べていきました。

一方、泰時は共に死闘をくぐり抜けた御家人たちを迎えて、自宅で慰労会を開きます。

「皆さん、今回は本当にお疲れ様でした。どうか大いに楽しんで下さい。ところで、私は今後一切酒を呑まないことを誓います」

「と言いますのも実は私、5月1日は深酒をしてしまって、5月2日の明け方に敵が攻めて来た時は二日酔いで大変だったのです。何とか鎧兜を着けて馬に乗ったまではいいのですが、もう意識が朦朧として、とても戦うどころではありませんでした」

……などと供述する泰時ですが、戦闘が始まった(和田勢が御所へ攻めて来た)のは酉刻(18:00ごろ)。記憶すら曖昧になるほど呑んでいたようで、少なくともほぼ一日酔っ払っていたのでしょう(あるいは翌朝、迎え酒なんかキメてしまったのかも知れません)。

「あの朝比奈三郎(義秀)が惣門をブチ破った時は、これは『今度こそ、死ぬ!』と思ったものです。南無八幡大菩薩、もう酒はやめますからどうかお救い下さいと誓いました。そのお陰で何とか助かったのですが、やっぱり戦っていると喉が渇くものです」

戦場に都合よく水があるとは限りません。摂れる水分であれば何でも摂っておくべきです。そう、たとえちょっとくらい(例えば1~2割ほど)アルコールが混じっていても、そんなことは些細な問題に過ぎません。

「その時ちょうど、葛西六郎(かさい ろくろう)が竹筒を勧めてくれたのです。彼の好意を『さっき禁酒の誓いを立てたから』なんて無下に断れるでしょうか?いや、そんなのは酒呑m、もとい人として許されざる暴挙です」

泰時が水分(アルコール入り)を摂っていると、間が悪いことに尾藤景綱(びとう かげつな。泰時の郎党)がやって来ました。内心舌打ち(誓いを破った瞬間を見られた&酒を分けないと気まずい)をしながら、泰時は酒を分け与えます。

「……まぁ、そんなこんながありまして。やっぱり酒を完全にやめるのは難しいので、今後は『あまり大酒は呑まないようにする』よう誓います。『酒は呑んでも呑まれるな』ですね」

……との事でした。

エピローグ

以上、和田合戦の顛末について駆け足で紹介してきました。その後、残党らも討ち滅ぼされ、北条氏による権力は盤石なものとなっていきます。

その後、承久の乱(承久3・1221年)が勃発するまで約8年間にわたり、鎌倉にはしばし平和(※特に大規模な兵乱が起きない状態)が訪れるのでした。

ただでさえ悲劇的な和田合戦を、果たして三谷幸喜はどのようにアレンジ(視聴者のメンタルをボコボコに)してくれるのでしょうか。今からゾクゾクしてしまいますね!

※参考文献:

  • 石井進『日本の歴史(7) 鎌倉幕府』中央公論社、2004年11月
  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 7頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
  • 笹間良彦『鎌倉合戦物語』雄山閣出版、2001年2月
  • 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月
  • 三谷幸喜『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』NHK出版・2022年10月
 

RELATED 関連する記事