どうか恩賞を…頼朝挙兵以来の古参勇士・天野遠景が訴えた武勇伝を紹介【鎌倉殿の13人】:4ページ目
梶原景時・比企能員の粛清に加担
建久10年(1199年。正治元年)に頼朝が亡くなると出家して蓮景と号し、同年10月には梶原景時(演:中村獅童)の弾劾状に署名を連ねます。
建仁3年(1203年)には北条時政(演:坂東彌十郎)の命により、比企能員を討つことに。
時政「おめぇら、今すぐ兵を集めろ!」
蓮景「ハハハ、あんな老いぼれ一匹殺すのに、軍勢なんか要らねぇだろ。アンタの館へ招いてサクッとヤっちまおうぜ。なぁ四郎(仁田忠常)」
忠常「よし、やろう」
という訳で仁田忠常とコンビで能員を暗殺。棟梁さえ殺(と)ってしまえば、あとは烏合の衆。一気呵成に比企一族を攻め滅ぼしたのでした。
終わりに
以上、天野遠景の武勇伝について駆け足で紹介してきました。
果たして恩賞の訴えが聞き入れられたのかは分かりません。その後フェイドアウトした遠景の没年は不詳、『幕府諸家系譜』によると承元2年(1208年)8月15日、63歳で亡くなったと言われます。
その後、遠景の子孫は繁栄してやがて三河国(現:愛知県東部)へ移り、戦国大名の松平(まつだいら。後の徳川)氏に仕えました。
【天野氏略系図】
遠景-政景-景経-遠時-経顕-経政-景隆(近江守)-秀政-景政-景顕-景保-景秀-定景-遠直-景行-遠房-景隆(甚右衛門)-康景(家康に仕える)……
※『寛政重脩諸家譜』巻第八百七十七「藤原氏 爲憲流 天野」より
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にはもう出てこないでしょうけど、遠景のようなマイナー(と言ったら失礼ですが……)御家人たちの活躍にも目を向けてみると、よりいっそう鎌倉時代を堪能できることでしょう。
※参考文献:
- 鎌倉遺文研究会 編『鎌倉遺文研究2 鎌倉時代の社会と文化』東京堂出版、1999年4月
- 関幸彦ら編『源平合戦事典』吉川弘文館、2006年12月