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「鎌倉殿の13人」梶原景時、暴走する源頼家の犠牲に…第28回放送「名刀の主」振り返り

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「忠臣は二君に仕えず」と言った唐の王燭って?

そんな頼家の暴政を嘆き、頼朝時代を懐かしんだ結城朝光。「断金の朋友」たる三浦義村(演:山本耕史)と連携して景時を追い落とすべく、琵琶の指南を通じて実衣(演:宮澤エマ。阿波局)に接近しました。

「忠臣は二君に仕えず(忠義の家臣は二人の主君に仕えない)」

この言葉を遺したのは「唐の王燭(おう しょく)」と劇中で言及されていますが、ここで言う唐とは唐王朝(7世紀~10世紀)ではなく唐土(もろこし。中国大陸全般を指す言葉)の意味。

王燭は古代中国の戦国時代、斉(せい)王朝に仕え、賢者として名声を広めていました。しかし主君である湣王(びんおう。実名は田地)は王燭の諫めを聞かずに暴政に明け暮れます。

愛想を尽かした王燭は湣王の下を去ったものの、他の君主に仕えることをよしとせず、農民として生計を立てていました。

果たして湣王は燕(えん)王朝によって滅ぼされ、王燭に再仕官の声がかかります。しかしこれを聞いた王燭は「忠臣は二君に仕えず」と断った上で自ら命を絶ってしまったのでした。

どんなに暗君であろうと最期まで忠義を貫いた王燭のエピソードは古代中国の歴史書『史記(田単列伝)』に記され、現代でも多くの人々に愛され続けています。

で、話は戻って結城朝光。頼朝の遺言さえなければ出家遁世して俗世を離れ、頼朝の菩提を弔う余生を送れた筈ですが……彼の波乱万丈な人生はまだまだ続くのでした。

出来れば大河ドラマでも登場させて欲しいものの、義村が砂金を渡して「しばらく身を隠せ」と言っている辺り、恐らくフェイドアウトしてしまうのではないでしょうか。

4ページ目 景時の弾劾状に北条時政の名前がないのはなぜ?

 

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