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干支の時刻を描いた浮世絵。江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる(中):2ページ目
未の刻
この浮世絵のタイトルには「未の刻」とあります。今でいうおよそ“午後1時から3時”の女性の姿を描いたものです。一番最初に目がいくのは“朝顔の花の傘”ではありませんか?実はこれは日傘なんです。本当にこんな日傘があったのならなんと素敵なことでしょう。襟元の空き具合からしても季節は夏でしょう。
この娘さんは三味線を担いでいます。つまり、三味線の稽古に行く途中もしくは帰りの姿です。頭にはいくつもの簪を差していてとてもお洒落が好きなようです。履物を見ると、いわゆる“ぽっくり下駄”を履いています。この下駄はいわゆる“禿”や“芸奴”さん、もしくは年少の少女が履くものです。
絵の右上に描かれている、子供たちの絵を見てみると。
子供たちがお弁当のような包みを持って、何やら背中に背負っています。江戸時代、子供たちは寺子屋に通っていましたので、寺子屋への行き帰りの姿でしょう。一緒の寺子屋に通う友達なのでしょうね。
この絵の中に「八つ時」と描かれていますが、未の刻=「八つ時」だったのです。これはまた後ほどご説明します。
とにかく江戸時代の子供たちは、割と勉学やお稽古ごとに忙しかったのです。そのため江戸時代の識字率は世界でもトップクラスであったのです。もしかしたら江戸の子供たちも案外時間に追われていたのかもしれませんね。
酉の刻
この浮世絵のタイトルは「酉の刻」です。つまり現在で言うところのおよそ“午後17時から午後19時頃”となります。遊郭で働く女性は日が落ちて暗くなってきたので、店の提灯に日を灯し店前に吊るそうとしています。花魁も支度が整い、これから仕事が始まるという完全な臨戦態勢となっています。後は客を待つばかりです。
このように遊郭の生活のふとした一部を切り取って作品にするということに、喜多川歌麿の観察眼を感じます。
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