応仁の乱の原因はこの人の野望!?日本三大悪女のひとり「日野富子」とは?その2
室町幕府第8代将軍・足利義政の正室、日野富子。日本三大悪女に数えられる富子は、如何にして日本史を代表する悪女となったのか。前回に引き続き、その生涯を追っていきましょう。
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息子の死で側室を全員追放!日本三大悪女のひとり「日野富子」とは?その1
永享12年(1440年)、室町幕府が開闢して2年ほど経った頃、足利将軍家と深いつながりがあった名門・日野家に1人の玉のような女の子が誕生しました。彼女の名は「富子」。16歳で室町幕府第…
応仁の乱の大きな原因は富子の行動!?
室町時代の応仁元年(1467年)から文明9年(1478年)までの約11年という長期間にわたって続いた応仁の乱です。昨今再注目されていますのでご存知の方は多いかと思います。
結果としては、戦場となった京都は全域にわたって壊滅的な被害を受け、見る影もないほどに荒れ果ててしまいました。実はこの応仁の乱が勃発した大きな要因に、富子の野望が絡んでいたのです。
弟に将軍職を譲る決心をした後に…!
富子の夫、室町幕府第8代将軍・足利義政は29歳になった時、ふと自分の将来を考えました。
「富子との間に全然子供もできないし、俺、そろそろ弟に将軍職譲って隠居したいな…」。
義政の弟はすでに仏門に入っており当初拒否しましたが、義政は「もし俺に今後男の子が生まれても、将軍職は継がせないから!」と起請文まで書いて弟を説得。兄の熱意に動かされ、弟は還俗して足利義視と名を改め、将軍を継ぐ準備に入りました。
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