江戸時代の吉原遊廓の妓楼の中はどうなってたの?浮世絵や絵草紙で詳しく紹介!:2ページ目
1階
土間・台所
入り口から建物の中に入ると、まず広い土間があります。土間には台所や井戸まであったとか。行商人は土間に入ってきて魚や野菜を置いていき、下働きの者たちがその食材を同じ土間の台所で料理しました。
山東京山 作,歌川国直 画「冬編笠由縁月影」より抜粋 国文学研究資料館
内証
奥には内証(ないしょう)といって、妓楼の主人とその妻であるお内儀が過ごす事務所がありました。
葛飾北斎「吉原遊廓の景」(部分)ボストン美術館蔵(文字加筆・筆者)
そこには縁起棚と呼ばれた神棚が必ず据え付けてあり、見世開き前には主人が必ず神棚に向かって拍子木を打ち、さらに鈴を鳴らしました。この音を合図に、先ほどの振袖新造たちが清掻を始めるのでした。
ちなみに内証は見世開きになるとすだれをおろすので、お客の目に触れることはありませんでした。
生活スペース
1階の奥には楼主の家族の生活スペース、縫物をするお針子さんが使うお針部屋、女郎用の便所、下級女郎や禿(かむろ)の雑魚寝部屋、奉公人の雑魚寝部屋などがありました。
行燈部屋
一番奥には行燈部屋(あんどんべや)といって、昼間に使わない行燈をしまっておく倉庫のような部屋がありました。ここは折檻部屋にもなり、悪事を働いた女郎はこの部屋に閉じ込められ折檻されました。また、遊んでおいて代金が払えなくなった客を逃げないようにいったん閉じ込めておいたり、間夫(まぶ)と呼ばれた彼氏を隠しておいたり、様々な使い方がされていたようです。