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江戸時代の吉原遊廓の妓楼の中はどうなってたの?浮世絵や絵草紙で詳しく紹介!

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2階

いよいよ2階は大賑わいのメインスペースです。

歌川国貞「吉原遊廓娼家之図」(部分)国立国会図書館所蔵

遣手部屋

段梯子を上がると、遣手部屋(やりてべや)というものがありました。女郎屋には必ず1人、遣手という監視役の中年女性がおり、客や女郎の行動に常に目を光らせていました。

遣手には元女郎が多く、いちいち口うるさいのでたいてい女郎たちから嫌われて「遣手婆」などと呼ばれていました。

この奥にはいよいよ吉原らしい場所が現れます。表座敷と呼ばれた芸者や幇間を伴っていわゆるどんちゃん騒ぎをする大部屋、引付座敷という、初会の客が女郎と顔合わせする座敷などが並んでいました。

十返舎一九作,画 喜多川歌麿「青樓繪抄年中行事 初会の図」国立国会図書館蔵

女郎の部屋

下級女郎は1階の奥の部屋に雑魚寝でしたが、部屋持ち、座敷持ち、呼び出しなどの上級女郎は2階に自分の部屋を持っていました。

部屋持ちは1部屋もらって自分の居住にも使いましたし、また客を招く座敷としても使いました。座敷持ち以上の高級女郎になると、自分の生活する部屋と客を通す座敷の2つを与えられました。

花魁の居間と座敷 鼻山人「廓宇久為寿」より一部抜粋 国立国会図書館

廻し部屋

個室が空いていない時には、廻し部屋に客を通しました。「五人廻し」という落語があるように、女郎1人に対し、客を何人もかけもちしたりしました。込み合っていると、1つの部屋についたてをたてて相部屋なんてことも行われていました。

客用便所

江戸時代、2階に便所があるのは吉原遊廓だけでした。水洗でもなく、下水道システムもなかった当時、2階に便所があるというのはまか不思議な事だったのです。「俺ア昨日2階の便所に行ったぞ」と言えば吉原に行ったという事になり、ちょっとした自慢にもなりました。

アイキャッチ画像:歌川国貞「吉原遊廓娼家之図」(部分)国立国会図書館

 

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