英雄色を好む!天皇・貴族・武将…歴史的偉人たちの驚きの”性豪伝説”べスト5がこちら【前編】
古今東西、どんなに時代が変わっても消えることがないものといえば「色の道」。
昔から「英雄色を好む」ということわざがあるように、いわゆる権力・財力・知力・胆力・武力・才能などを持ち合わせている男性は、往々にして「女性が大好き」(男色を好んだ人も多いですが)だといわれています。
大好き過ぎて、側室や愛人を数十人もうけるなどは当たり前でした。
いずれも権力や地位があり多忙そうなのに、色遊びをする時間・体力・気力に満ち溢れていた……そんな、「性豪」と呼びたくなる、歴史上の偉人の中からベスト5をご紹介したいと思います。
側室の数は40人!?政治に無関心だった足利義政
足利義政は、室町幕府の第8代将軍として1449年〜1473年(文安6〜文明5年)までの24年間、将軍の座に就いていました。
しかし、将軍でありながら政治的な活躍や実績などはあまり芳しくなく、「やる気がない」「だめな将軍」などと呼ばれるほどその能力は評価されていないようです。
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義政は、室町時代において、戦い・政治・飢饉など、現実の問題にから顔を背け、見かねた後花園天皇が義政の行動を憂いて、漢詩をもって諌めたこともありました。
その一方、芸術や芸能をこよなく愛し、文化の発展には大きく貢献しました。
1473年(文明5)に将軍職を引退した後、東山に山荘を建てて引っ越した義政は、芸能・芸術に携わる人たちを幅広く支援し「東山文化」を創出。銀閣寺(慈照寺)を創立したことでも有名です。
そんな足利義政はかなり早熟で、自分の乳母だった10歳年上の今参局(いままいりのつぼね)を側室にしました。また、その側室と正妻・日野富子との間には激しい確執が繰り広げられたともいわれています。
気性の激しい正妻と側室に挟まれていたかのように見える義政ですが、ほかにも側室も多く一説によると、40人も抱えていた……などという話もあるようです。