「英雄色を好む」は本当!?天皇・貴族・武将…色好みな歴史的偉人たちの驚きの性豪伝説べスト5【前編】:2ページ目
子供の数55人の「オットセイ将軍」徳川家斉
江戸幕府の第11代将軍・徳川家斉は、江戸幕府の歴代将軍の中でも最も在任期間が長い(1787〜1837)ことで知られています。
白河藩出身の松平定信(まつだいら・さだのぶ)を老中首座として、財政を立て直し倹約を重んじる「寛政の改革」を敢行させましたが、自分の性生活に倹約はなく大奥での日々を謳歌。
生涯に側室を40人、子供を55人(男子28人・女子27人)ももうけたと伝わっています。
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みなさんは、徳川幕府第11代将軍と聞いて、すぐにその名前を思い出せますか?幕府を開いた初代将軍・徳川家康や、生類憐みの令を出した5代将軍・徳川綱吉などと比べると、歴史上では少し影が薄いかもしれません。…
徳川家斉は、精力増強のためにオットセイの陰茎を粉末にした精力剤を飲んでいたことから「オットセイ将軍」「種馬公方」などと呼ばれていました。
17才から55才までの間、ほぼ毎年コンスタントに子どもが生まれていたほど、絶倫ぶりですが、精力剤の愛飲以外にも、早寝早起き・日々の散歩や運動・白牛酪(※)を食べるなど、健康にはかなり気をつかっていたそうです。
※白牛酪:牛乳と砂糖を煮詰めて塊状にしたチーズのような食べ物
また、大奥の一間を全面鏡張りにして夜の営みを楽しんでいた……という話もあります。