史実にはない?清少納言との出会い。大河ドラマ「光る君へ」2月11日放送の気になるトピックを振り返り!:2ページ目
まひろも愛読!?21年の結婚生活をつづった『蜻蛉日記』
……天下の人の品高きやと問はむためしにもせよかし……
【意訳】やんごとなき方に嫁いだ女性が、どんな暮らしをしているのか、ご興味ある方の参考にでもしてもらえたら……。
藤原寧子(右大将道綱母/財前直見)が、藤原兼家との結婚生活を描いた『蜻蛉日記(かげろうにっき)』。
天暦8年(954年)から天延2年(974年)まで、21年間の恨みつらみがてんこ盛りです。
これを読むと、いかに兼家が夫としてひどい人物であったか、よく分かるかも知れません。
「玉の輿に乗せてやる」とばかりのプロポーズに始まり、早々に愛人を作って足が遠のき、たまに便りがあれば「礼服を仕立てろ」……などなど。まったく、妻を何だと思っているのでしょうか。
最後は夫からの愛情を諦め、一人息子である藤原道綱(上地雄輔)の将来に希望を託す……という、何とも悲しい内容です。
……なほものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし……
【意訳】実に儚く、やるせない心境をつづったこの日記は。『蜻蛉日記』とでも名づけましょうか。
普通、日記と言えば私的な記録として公にはしないものですが、この『蜻蛉日記』は明らかに公開することを前提に書かれています。
日記文学の先駆け的存在であり、後に紫式部(まひろ)も大きく影響を受けたのでした。
しかし、まだ兼家が生きているというのに、このボロっカスぶりは凄まじい。現代語訳も出ているので、よかったら読んでみて下さい。
ただし妻からの一方的な主張なので、夫の言い分も聞いてみたいところです。