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「どうする家康」二条城の会見、鐘銘事件、残念な秀忠を深掘り!第45回「二人のプリンス」振り返り:4ページ目
林羅山の言いがかり……方広寺の鐘銘事件
さて、どこまでも戦を避けたい神の君に対して、早く徳川を倒したくて仕方がない茶々たち。
一体何の根拠があって、そんなに自信満々なのでしょうか。まさか秀頼と秀忠が殴り合いで天下を決める訳でもないでしょうに……。
ともあれ、豊臣方が家康に喧嘩を売ったという方広寺の鐘銘がこちらです。
欽惟 豊国神君 昔年 掌普天之下
前文 外施仁政 前征夷大将軍従一位右僕射源朝臣家康公 天子万歳 台齢千秋
銘曰 洛陽東麓 舎那道場 聳空瓊殿 横虹画梁 参差萬瓦 崔嵬長廊 玲瓏八面 焜燿十方 境象兜夜 刹甲支桑 新鐘高掛 商音永煌 響応遠近 律中宮商 十八声縵 百八声忙 夜禅昼誦 夕燈晨香 上界聞竺 遠寺知湘 東迎素月 西送斜陽 玉筍堀池 豊山降霜 告怪於漢 救苦於唐 霊異惟夥 功用無量 所庶幾者国家安康四海施化 万歳伝芳君臣豊楽子孫殷昌 佛門柱礎 法社金湯 英檀之徳 山高水長
慶長十九年甲寅歳孟夏十六日 大檀那正二位右大臣豊臣朝臣秀頼公 奉行片桐東市正豊臣且元 冶工名護屋越前少掾菅原三昌
前住東福後住南禅文英叟清韓謹書
これに対して、林羅山(笑い飯哲夫)らは「右僕射源朝臣家康」「国家安康」「君臣豊楽」の三点にイチャモンをつけたのでした。
「右僕射源朝臣家康」
右僕射(うぼくしゃ)とは右大臣の別名。中国風にカッコつけた呼び方ですが、その次に「源朝臣家康公」とあるため、林羅山は「大御所様を射るつもりか!」と言いがかりをつけます。これは秀頼も右大臣なので、二人がごっちゃにならないよう書き分けただけだと弁明しました。
「国家安康」
家康の諱(忌み名。実名)を真っ二つにするとはけしからん!林羅山の抗議に対して、今度は「めでたい言葉にお名前を入れ込むことで、徳を広めているのです」と弁明。天下の一大事業であるがゆえに失敗のないよう努めたつもりだが、プレッシャーのあまり思わぬ失敗をしてしまったかも知れないと許しを乞います。
「君臣豊楽」
これは家康の名前を引き裂いたあとで、豊臣が楽しむという野望を記したものであろうと林羅山が因縁をつけたところ、こちらについては「これも先例があり、他意はない」と弁明しました。
それにしても、そんなに鐘銘の文章が気に入らないなら、徳川当局も訂正させるなり鐘を鋳つぶすなりすればよかったのではないでしょうか。
今もその現物が遺っているということは、方広寺の鐘銘が徳川の言いがかりに過ぎなかったことを証明しているようなものですね。
今回、豊臣方があえて徳川を挑発するために鐘銘を刻ませたとする解釈は面白いですが、喧嘩を売るならそれに相応しい説得力を描く時間を割いて欲しかったと思います。
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