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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」二条城の会見、鐘銘事件、残念な秀忠を深掘り!第45回「二人のプリンス」振り返り

「どうする家康」二条城の会見、鐘銘事件、残念な秀忠を深掘り!第45回「二人のプリンス」振り返り

それでも戦国武将か!残念極まる徳川秀忠

「私は負ける自信があります!」……声を張って言えることではありませんよね?あなた仮にも戦国武将ですよね?

「父上がいつ亡くなるかと心配で……」何だか親のスネをかじり続けるニートみたいですね。あなた仮にも征夷大将軍ですよね?

もはや史実がどうとか言うレベルではありません。どうか視聴者の皆様が、この演出をフィクションだとご理解下さっていることを願うばかりです。

ちなみに秀忠は天正7年(1579年)生まれ。だから大坂の陣が始まる直前の慶長19年(1614年)時点で36歳になります。

戦乱など知りもしない昭和末期から平成生まれの若者だって、もう少ししっかりしているでしょう。

しかも慶長10年(1605年)に征夷大将軍を譲られてから、今回の話中だけで6~9年は経っています。お願いだからいい加減にしっかりして下さい。

大学出の新卒フレッシュマンだって、それだけ社会経験を積めば、少しはそれなりになるのですから。

もっとも忠孝を謳う朱子学を広めながら、父親・本多正信(松山ケンイチ)をなじり倒す本多正純(井上祐樹)みたいに、いい歳してイキり続けているのもどうかとは思いますが……。

本作の全体を振り返って実にもったいなかったのが、秀忠や息子たちを幼少期からしっかり教育する描写がなかったこと。

子供はただ可愛がるだけのマスコットではなく、自分の思想や精神、生き様を次世代に伝えるよすがでもあります。

家康が父親として自覚を持ち、息子を育てる中で自らも成長していく人間ドラマを描くで絶好の機会だったのに、と惜しまれてなりませんね。

ちなみに、秀忠の嫡男である第3代将軍・徳川家光(幼名:竹千代)は、慶長9年(1604年)に誕生しています。

4ページ目 林羅山の言いがかり……方広寺の鐘銘事件

 

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