死因は抜きすぎ!?神武不殺の剣豪でもあった福沢諭吉が寿命を縮めてしまった激しすぎる修行とは
一万円紙幣の代名詞となっている福沢諭吉(ふくざわ ゆきち)。よく浪費した時など「諭吉が飛んでいく」なんて言いますよね。
また「天は人の上に人を造らず」……のフレーズでおなじみ『学問のすゝめ』でも有名でしょう。
思想家として大成した福沢諭吉は、幕末から明治にかけて活躍した武士でもありました。
武士の習いとして幼い頃から一刀流(いっとうりゅう)を学び、のち立身流(たつみりゅう)居合術の免許皆伝を得たそうです。
まさに剣豪でもあった福沢諭吉は、どのような武勇伝を残したのでしょうか。そこで今回は、福沢諭吉の剣豪エピソードを紹介したいと思います。
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神武不殺の境地
……と言っても福沢諭吉は、生涯一度も人を斬ったことはなかったそうです。
当時は攘夷論者からしばしば襲撃を受けたものの、どんな時でも斬り合うことなく、必ず逃げ出したと言います。
「何だ。せっかく剣術を習得しても人を斬らないのでは意味がないじゃないか」
そんな嘲笑が聞こえてきそうな気もしますが、むやみに人を斬らないのは諭吉だけではありませんでした。
同時代に活躍した勝海舟(かつ かいしゅう)や山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)らもまた、生涯にわたり人を斬ることはなかったと言います。
敵を斬らずに逃げるのは、決して弱いからではなく、無用の流血を避ける知恵でもありました。
確かに「攻撃は最大の防御」とも言う通り、敵を斬ってしまえばそれ以上は攻撃を受けない訳ですから、できれば斬った方が後の面倒がありません。
しかしながら、今は敵味方に分かれていても、彼らもまた日本の未来を憂う同志です。いたずらに有為の人材を喪うのは国家にとって大きな損失でしょう。
斬りも斬られもせずに幾たびもの修羅場を逃げ延びられたのは、これも達人の技量あればこそかも知れませんね。
実際の動機を諭吉本人に確認した訳ではないものの、これはまさに「神武不殺(しんぶふさつ。武を極める者は人を殺さず)」の境地と言えるでしょう。
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