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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」夢破れて瀬名が逝く。第25回放送「はるかに遠い夢」振り返り

「どうする家康」夢破れて瀬名が逝く。第25回放送「はるかに遠い夢」振り返り

時をさかのぼり、佐鳴湖にて

……築山殿と申けるはいまだ駿河におはしける時より。年頃定まらせたまふ北方なりしが。かの勝頼が詐謀にやかゝりたまひけん。よからぬことありて。八月二十九日小藪村といふ所にてうしなはれ賜ひぬ。(野中三五郎重政といへる士に。女の事なればはからひ方も有べきを心をさなくも討取しかと仰せければ。重政大におそれ是より蟄居したりとその家傳に見ゆ……

※『東照宮御實紀』巻三 天正七年-同八年「築山夫人自害」

【意訳】瀬名は今川の人質時代から家康の正室であったが、武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の調略にかかってしまった。

そのため天正7年(1579年)8月29日に小薮村(佐鳴湖のほとり)で処刑されたのである。

介錯したのは野中三五郎重政(のなか さんごろうしげまさ)。任務を終えて戻ると、家康から責められてしまう。

「確かに処断せよとは言ったが、女性を斬るとは何事か」

主命に従ったにもかかわらず咎められたことに恥じ入り、蟄居(謹慎)したとのことである。

……身代わりの女性を解放して聖女ぶりをダメ押しアピール、家康の懇願も無視して頑なに死を選んだ瀬名。

(※)こういう身代わりは、生きたのを連れて来てはダメです。もし逃げられたらどうするんですか。もし筆者が女大鼠(演:松本まりか)の立場なら、すでに彼女を「首」にしておきます。そして瀬名を縛り上げてでも生かして連れ帰るでしょう(普通は家康>瀬名の意向を優先すべきです)。

文献によっては自害を拒んで斬首されたなどその最期には諸説ありますが、死を前に吐いたのがこちらの台詞。

……我が身は女なれども汝らの主なり。三年の月日に思い知らせん……

※『士談会稿』より

【意訳】私は女だが、そなたらの主である。今に見ておれ、三年以内に思い知らせてくれる!

『松平記』などでは、瀬名を処刑した関係者たちが次々とトラブルに見舞われ、彼女の怨霊に違いないと恐れられたのでした。

それにしても、劇中では回想を濫用して時間を行ったり来たりするので、予備知識がないと歴史の流れがつかみにくいですね。

5ページ目 覚えてますか?瀬名と命運を共にした、たね

 

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