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「どうする家康」夢破れて瀬名が逝く。第25回放送「はるかに遠い夢」振り返り:2ページ目
信長も驚いた?五徳の書状には何が書かれていたか
さて、劇中では割愛されていましたが、五徳は信長にこんな書状を送ったそうです(カッコ内は意訳)。
※全部で12ヶ条とのことですが、完全には残っていないと言います。
一 築山殿悪人にて三郎殿と吾身の中をさまさま讒して不和し給ふ事
(瀬名は信康様に私の悪口を吹き込み、そのせいで夫婦仲は最悪です)
一 我身姫ばかり二人産たるは何の用にか立ん大将ハ男子こそ大事奈れ妾あまた召て男子を設け給へとて築山殿すゝめにより勝頼が家人日向大和守が娘を呼出し三郎殿妾にせられし事
(瀬名は私が女の子しか産まないと責め立て、勝手に信康様の側室を決めてしまいました)
一 築山殿甲州の唐人医師減敬といふ者と密会せられ剰へ是を便とし勝頼へ一味し三郎殿を申すゝめ甲州へ一味せんとする事
(瀬名は減敬=滅敬という医師と不倫し、信康様に武田へ寝返るようそそのかしています)
一 織田徳川両将を亡し三郎殿には父の所領の上に織田家所領の国を参らせ築山殿をば小山田といふ侍の妻とすべき約束の起請文書て築山殿へ送る事
(武田と組んで徳川・織田を滅ぼし、信康様には徳川領+α、瀬名は小山田なる武士との再婚を約束しているそうです)
一 三郎殿常々物あらき所行おほし我身召仕の小侍従と申女を我目前にて刺殺し其上女の口を引さき給ふ事
(信康様は私の侍女・小侍従を、私の目の前で惨殺しました)
一 去頃三郎殿踊を好みて見給ひける時踊子の衣裳よろしからず又おどりさまあしきとて其踊子を弓にて射殺し給ふ事
(信康様はある時、城下の踊り子を「イケてない」からと弓で射殺しました)
一 三郎殿鷹野に出給ふ折ふし道にて法師を見給ひ今日得物の奈きハ此法師に逢たるゆへなりとて彼の僧が首に縄をつけて力革とかやに結付馬をはせて其法師を引殺し給ふ事
(信康様は鷹狩の帰りに見かけた僧侶に難癖をつけ、その首に縄をかけて馬で引きずり殺しました)
一 勝頼が文の中にも三郎殿いまだ一味せられたるにはいはず何ともして勧め味方にすべしとの事に■へば御由断ましまさバ末々ハ御敵に組し■べきと存じ態々申上■事
(武田からの書状には「早く信康を味方につけよ」と記してあり、くれぐれも油断なさいませぬように)
※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」
これを知って驚いた信長は、酒井忠次(演:大森南朋)・大久保忠世(演:小手伸也)らに真偽を訊ねました。
すると彼らもかばい切れない様子で内容を認め、両者の有罪が決まったのです。
ただし、信長自身が処刑を求めたかについては文献によって諸説あり、むしろ家康が積極的に命じたとも言われます。
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