“恥ずかしい姿”のはずが大反響…明治時代に実在した洗い髪の美人モデル「安達ツギ」の数奇な生涯
現在、NHK朝ドラ「ばけばけ」が放送中ですが、本作の舞台にもなっている明治時代の日本は、まだ写真が珍しかった時代でした。そんな明治の日本で、たった1枚の写真から一躍“時の人”になった女性がいました。
その名は、安達ツギ。のちに芸妓「お妻」として知られ、当時としては異例ともいえる“バズり”を起こした人物です。しかも彼女が人々の視線をさらった理由は、豪華な衣装でも、華やかな肩書でもありませんでした。
きっかけはむしろ、当時の常識では「人前で見せるのは恥ずかしい」とされた姿だったのです。その姿は街で噂を呼び、やがて写真や商品パッケージにも広がっていきました。
今でいうなら、思いがけず注目を集め、そのまま広告の顔にまでなっていったようなものかもしれません。
では、いったい安達ツギはどんな女性で、なぜそこまで人々を熱狂させたのでしょうか。
まずは、その生い立ちからたどってみましょう。
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安達ツギの生い立ち
安達ツギは、1874年、長崎県下県郡中村町(現・対馬市)に生まれました。父は対馬府中藩の朝鮮奉行を務めた土岐守守道(もりみち)です。1886年に上京し、1889年には小田貴雄(よしお)という男性と結婚します。
小田貴雄は、鳥取師範学校の校長に就任。その際、ツギは鳥取で最初に洋装をした女性として話題になりました。しかし、結婚生活は長くは続かず、離婚。
そののち、彼女は新橋の芸妓になる道を選びます。芸妓としては、「お妻」と名乗るようになりました。
2ページ目 運命を変えた美人コンテスト〜「洗い髪の姿」で話題に
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