“恥ずかしい姿”のはずが大反響…明治時代に実在した洗い髪の美人モデル「安達ツギ」の数奇な生涯:2ページ目
2ページ目: 1 2
運命を変えた美人コンテスト「東京百美人」
人の外見でランキング付けをすることにはさまざまな意見があると思いますが、1891年(明治24年)に日本で初めての美人コンテストが浅草凌雲閣(りょううんかく)で開催されました。
超美人さん揃い!明治時代に日本初のミスコン「東京百美人」が開催されたその理由とは?
明治時代に東京浅草の名所の1つだった「浅草凌雲閣」(通称「浅草十二階」)。1890年(明治23年)に工事が始まり1891(明治24)年に完成しました。当時の日本で最も高い建築物で、名称の由来は、「雲を…
凌雲閣は、当時日本で一番高い建物だったのですが、エレベーターが故障し、当局の指導により運転停止命令が出ました。
繁忙期を前にエレベーターが故障してしまったことを受けて、人々が長い階段を上がり下がりするときに、飽きないような方法がないかということで、この美人コンテストの開催が決まったのです。
そのコンテストが、彼女の運命を大きく変えることになりました。
「洗い髪の姿」で話題になったお妻
残念ながら上位入賞とはならなかったお妻ですが、彼女は別の観点から話題に。それは、彼女が当日長い髪を垂らしたまま、いわゆる「洗い髪の姿」で会場に向かったことがきっかけでした。
彼女は自宅で髪結いを待っていたのですが、いつまで経っても髪結いが来なかったのです。
当時女性は髪を結って人前に出るのがマナーだったため、「洗い髪の姿」は恥ずかしいものとされていました。
コンテストのための写真撮影には、身支度をして髪を結って望んだのですが、会場に来るまでの姿(人力車に乗る濡髪の美人が街中を疾走)が話題となったのです。
ちなみに、1892年の「第二回百美人」に出場した際には、洗い髪の写真でエントリーして2位入賞を果たしています。
上記のエピソードから、彼女は「洗い髪のお妻」として人気を博していきます。洗髪料のパッケージを飾ったり、絵葉書に写真が掲載されたり。芸妓としてお座敷に出るときにも、お客さんから「洗い髪のままで」というリクエストが多かったといいます。
※関連記事:
日本で初のミスコンは明治時代。その時のトップ3をご紹介
ミスコン、現在では大学や地域でそして世界規模で色々なコンテストが開催されていますが、日本で初めてのミスコンは明治時代。初のミスコンは明治24年。芸妓さん100人の写真を掲載して投票するかたちで…
ミスコンが理由で退学!?明治時代、日本初の一般女性のミスコンで1位に輝いた「末弘ヒロ子」
ミスコン(ミス・コンテスト)、と言えば今でも「ミス日本」「大学ミス・ミスターコン」「女子高生ミスコン・男子高生ミスターコン」などがあり世間の注目を集めますが、実はそのミスコンが明治時代に始まったという…
2度の離婚、整形後遺症、不倫、自殺…明治時代の悲劇の大女優・松井須磨子の生涯
Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。芸能界にスキャンダルはつきものですが、明治時代のスキャンダル女優と言えば「松井須磨子(まついすまこ)」の名は外せません。離婚、整形…
ページ: 1 2




