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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」本多正信の寝返りでますます泥沼化…第8回放送「三河一揆でどうする!」振り返り

「どうする家康」本多正信の寝返りでますます泥沼化…第8回放送「三河一揆でどうする!」振り返り

土屋長吉重治の最期

各地で激戦が続く中、応援を求められた家康は形勢逆転を期して自ら出陣。『徳川実紀』によればこれは上和田城(砦)からの要請で、大久保忠勝(おおくぼ ただかつ)と大久保忠世(演:小手伸也)が守備していました。

大河ドラマでは一向門徒の拠点へ攻め込む演出となっていましたが、一揆勢に内通していた土屋長吉重治(演:田村健太郎)は家康を「北が手薄」と罠に誘い込みます。

果たして絶体絶命の窮地に陥った家康(家臣たちは、みんな家康を放って逃げたのでしょうか?薄情ですね)。やはり決意が揺らいだ長吉は家康をかばって身代わりに。

それから何やかんやあって(あの状態から、どうやって脱出したのでしょうか?なぜ一揆勢は長吉一人に動きを止めたのでしょうか?)、家康は岡崎城へ生還。

息絶え絶えの長吉から「油断するな。まだ近しい家臣に裏切り者がいる」と聞かされ、疑心暗鬼に陥った家康。いくら自分をかばってくれたからと言って、人の話を何でも鵜呑みに信じてしまう悪い癖は、ずっと直りませんね。

ちなみに『徳川実紀』によれば、家康は一人で救援に向かい、窮地に陥ったところを土屋長吉重治が助け出したとなっています。

……正月十一日上和田の戦に賊徒多勢にて攻来り。味方難儀に及ぶよし聞しめし。御みづから単騎にて馳出で救はせ給ふ。その時賊勢盛にして殆危急に見えければ。賊徒の中に土屋長吉重治といふ者。われ宗門に與すといへども。正しく王の危難を見て救はざらんは本意にあらず。よし地獄に陥るとも何かいとはんとて。鋒を倒にして賊徒の陣に向て戦死す。この日御冑の内に銃丸二とゞまりけるが。御鎧かたければ裡かゝず。……

※『東照宮御実紀附録』巻二「土屋重治見家康危急内応」

最後に「御冑の内に銃丸二とゞまりけるが。御鎧かたければ裡かゝず(二発の銃弾を受けたが、装甲が堅かったため裏まで貫通しなかった)」とあり、これが劇中で描かれた兜(冑は鎧とも兜とも解釈可能)の鉄砲疵にアレンジされたのでした。

それにしても、激しい合戦の最中でしょうに、陣頭で指揮を執るべき重臣たちがずらりと並んで悲しんでいるシーンにはやきもきさせられます。

悲しむのは勝った後にしなさい、このあほたわけが!(戦さの原因を作った張本人が、戦さから目をそむけてどうする!)私が瀬名なら、そう家康のお尻をひっぱたいたかも知れません。

4ページ目 次週・第9回放送「守るべきもの」

 

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