国際連盟脱退も、実は日本は「孤立」していなかった!?松岡洋右「堂々退場」の本当の理由とは:3ページ目
熱河作戦の前に脱退せよ!
関東軍は熱河作戦をやる気満々だったので、もし非難勧告の直後にやられたら、もう完全に連盟の規約違反に該当し経済制裁は免れません。これは何としても避ける必要があります。
だから松岡は先手を打ったのです。熱河作戦を実行される前に、「国際連盟抜けます」と意思表示をしておけば、連盟も脱退する国にわざわざ制裁などしません。
また、実際には脱退を宣言しても正式に脱退するまで2年間の猶予がありました。ほとぼりが冷めたら脱退を取り下げる、という選択肢があったのです。連盟側も事情は分かっていて、日本がそうするならと深追いをする気はありませんでした。
だから松岡は、「脱退の意志」をはっきり見せつけるために有名な「堂々退場」をしたのです。ここで脱退するかしないか曖昧な状態で去り、この直後に熱河作戦が行われたらまずい。だから、はっきり意思表示をして堂々退場するというパフォーマンスが必要だったのです。
なんだかルールの隙間をかいくぐるようなアクロバティックなやり方ですが、結果的にこれは成功しました。本当に間一髪のタイミングで、熱河作戦はまさに松岡が「堂々退場」したその日に実行されていたのです。彼は会場を去る時、「失敗した、失敗した」と口にしていたそうです。
当時の日本が、国際連盟を脱退しても、必ずしも国際社会と対立したり孤立したりしなかったのにはこういう事情があったのです。
表面的には、起きたことは動かしようがありません。しかしこうした舞台裏を知ってみると、日本の置かれた立場の苦しさと松岡の苦労が感じられますね。
戦後は、松岡洋右は歴史記述の中で何かと責められがちな人ですが、この時はきちんとした使命を持って会議に参加していました。
そして会議のさなかも外務省からの指示に翻弄されながら、最後にはギリギリのところで日本が経済制裁を受けることをかわすという役割を果たしていたのです。
参考資料
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』SB新書、2016年