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江戸時代、どこよりも早くワクチン接種を敢行!天然痘の抑え込みに成功した佐賀藩主・鍋島直正に学ぶ

江戸時代、どこよりも早くワクチン接種を敢行!天然痘の抑え込みに成功した佐賀藩主・鍋島直正に学ぶ

天然痘の抑え込みに成功した名君・鍋島直正

…さて、天保元年(1830)、佐賀藩主に17歳の若い藩主が就任しました。その人物は「鍋島直正」…のちに、ジェンナーのワクチンを使い、天然痘の抑え込みに成功した名君です。

直正の功績は他に借金に苦しんでいた藩財政を改善させ、教育改革にも力を注ぎ藩校「弘道館」を拡充し人材育成を行うなど、様々な面から藩政改革を行いました。

 

直正は西洋の知識、技術にも強い関心を持ち、反射炉などの科学技術を導入、アームストロング砲の自主製造を行う他、三重津海軍所を設置し蒸気船(凌風丸)や蒸気機関も完成させています。それらの技術は島津斉彬にも伝授されたほどです。

そんな鍋島直正ですが、幼少の頃、天然痘に罹ったことがありました。天然痘は小さい子供の致死率が非常に高い病気ですから、直正は相当な苦痛を味わったことでしょう。そして、直正が藩主に就任して15年が経った頃、佐賀藩で天然痘が流行します。

そこで、直正は侍医の伊藤玄朴の進言を受け入れ、領民に種痘を行うことを決意します。元々、西洋の技術に明るかった直正は長崎にいる藩医・楢林宗建に命じ牛痘苗(ワクチン)を入手するよう命じます。

しかし、ここで一つの問題が…

 

これよりも以前、ジェンナーの開発をした牛痘接種法は、オランダ商館長・ズーフによって、享和3年(1803)に日本に紹介されていました。ところが、海外との輸送手段が船のみの時代、ヨーロッパで作られた牛痘の膿は日本までの長旅には耐えられず死滅してしまいました。

実際に、シーボルトも牛痘ワクチンを持って来日するものの失敗に終わっています。

3ページ目 → 膿ではなく保存のきくかさぶたを利用

 

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