江戸時代、どこよりも早くワクチン接種を敢行!天然痘の抑え込みに成功した佐賀藩主・鍋島直正:3ページ目
膿ではなく保存のきくかさぶたを利用
そこで、楢林宗建は、日本で行われていた人痘接種法が天然痘患者のかさぶたの粉末を使って接種していることからヒントを得て、膿ではなく保存のきくかさぶたで運んでくるよう、オランダ商館長・モーニッケにお願いしました。
斯くして、宗建の仮説通り、ワクチンは死滅することなく、ヨーロッパから無事に長崎まで運び込まれました。ワクチンの輸送はいつの時代も困難な作業であったことがわかります。
しかし、情報が限られていた江戸時代、ヨーロッパでは有効性が実証されているワクチンでも、日本人に接種するのにはまだその信頼を得ていませんでした。ワクチンには言われなき風評もあったようで…
「顔や声が牛のようになるぞ」
とか、
「牛の角が生えるぞ」
などといった噂が流れるほどで、なかなか庶民への接種がままならない状況だったそうです。
このような風評に対し、直正は自分の息子・淳一郎にワクチンを接種し、その有効性を実証してみせると、瞬く間に領民に浸透…その後、複数の蘭方医たちのネットワークで京都、大坂、江戸など、大都市を中心に全国へ広がっていきました。
佐賀藩の接種をきっかけに、大坂では緒方洪庵の「除痘館」、伊東玄朴が江戸神田に「お玉が池種痘所」を開設されています。
そして、天然痘は昭和55年(1980)、WHOは天然痘の根絶宣言を行いました。長い歴史の中で人類が戦い続けてきた天然痘との戦いは収束を見ることになりました。