豪族の氏神からやがて庶民への信仰へと移っていった「稲荷信仰」とその経緯:2ページ目
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東寺には、空海が紀州の田辺というところで稲荷神と出会い、都に来るように頼んだとされています。
その数年後、稲荷神は2人の婦人と2人の子どもを連れて東寺を訪問してきたので、空海は一行を厚くもてなし、稲荷山に案内してここに鎮座するようにお願いしたという伝承が残されています。
春に行われる伏見稲荷大社の稲荷祭では、神輿が東寺の前を立ち寄り、東寺の僧たちの読経を受けます。これは、稲荷神と空海のエピソードに由来するのだとか。
稲荷神は、後に五穀をつかさどる御食津神・ウカノミタマ(宇迦之御魂神)と同一視されるようになります。
また、稲の神様ということで、全国各地の田の神として民衆の間にも信仰が広まると、やがて方策を与える神であることから、植財の神ともみられるようになり、商工業者の信仰を集めるようになっていきました。
ウカノミタマは、稲穂を担ぎ、鎌を手に、神の使いであるキツネの姿で描かれることが多いですが、キツネが神使になったのには、狐が農作物を荒らすネズミを食べることから、稲を守ってくれる動物として考えられたからです。
参考文献
- 吉野 裕 翻訳『風土記』(東洋文庫 1969)
- 五来重監修『稲荷信仰の研究』(山陽新聞社 1985)
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