男も惚れる男の中の男!江戸時代に実在した傾奇者「幡随院長兵衛」を知っていますか?【前編】:2ページ目
町奴、旗本奴とは
ここではまず「町奴」、そして「旗本奴」とは何かをご説明します。
旗本とは元来、徳川家康の家臣団の中でも将軍に直接謁見できるエリートの家格です。将軍に万一のことが起こった場合には真っ先に駆けつけるのがその使命でした。戦国時代には戦場において主君の軍旗を守る武士団を意味し、主君が最も信頼をおくのが旗本達でした。
ところが、徳川家康が征夷大将軍となり江戸時代になると、時代は戦のない平和な世の中となったのです。そのため旗本は戦場において主君を守り主君のために戦うという大事な仕事を失ってしまったのです。
旗本の仕事は江戸城の警備や将軍の護衛を任務とする「番方」、町奉行などの司法、行政、財政を担当する「文官」などに変わっていきました。
しかし旗本でも長男として生まれれば“家を継ぐもの”としての重責がありましたが、次男以下は他家へ養子にでも行かない限りは、親や長男に養われるという立場でしかなかったのです。
そのため旗本や御家人達は欲求不満に陥り、そのはけ口として奇抜な服装で町を闊歩しては鬱憤を晴らすようになりました。やがて「旗本奴」という集団となり、町中で喧嘩や揉め事を起こしては町人達を困らせていたのでした。
町人たちにとって「旗本奴」は自分たちよりも位の高い存在であり、無謀な行為に対しても反抗することは出来ず、「旗本奴」は町人たちに疎まれる存在となっていきました。
そのような状況の中、町人たちの中からそれに立ち向かおうとする人々が現れだしました。それが「町奴」と呼ばれる人達です。
「町奴」は“男伊達”を競うようになります。“男伊達”とは男の面目を保ち“弱きを助け強きをくじく”というものであり、本来の【任侠】の意味に通じます。
やがて町人の中にも「町奴」の“男伊達”に好意を持つ人達が現れはじめました。
しかし「旗本奴」「町奴」ともども、その傍若無人な行動は幕府から弾圧されていました。