手洗いをしっかりしよう!Japaaan

ラスボス感ハンパない!色んな意味で強かった?毛利元就の愛娘・五龍姫の生涯

ラスボス感ハンパない!色んな意味で強かった?毛利元就の愛娘・五龍姫の生涯:3ページ目

大酒呑みだった?脳卒中で46歳の生涯を閉じる

そんな五龍姫は天正二1574年7月16日、46歳の生涯に幕を下ろしましたが、その死因は脳卒中と言われています。

脳卒中と言えば、大酒呑みの代名詞……この当時、まだタバコは一般的ではなかったため、日頃から酒が好きだったのかも知れません。

父・元就は酒の害をよく知っており(父も祖父も酒毒が原因で早死にしている)、息子たちにはきつく禁酒の教訓を残していましたから、愛娘が大酒呑みだとしたら、その行く末を心配するのも当然です。

また、身分柄あまりあくせく動き回る必要もないでしょうから、慢性的な運動不足となれば当然(脳卒中の間接的要因である)肥満のリスクも考えられます。

加えて激しい性格となれば、過度のストレスを溜め込み、まさに脳卒中の数え役満。記録がないため確証はないものの、彼女が酒乱で夫・隆家に暴力など振るっていないことを願うばかりです。

ともあれ五龍姫は法光院殿栄室妙寿禅尼という戒名を授かりましたが、その墓所については諸説(4か所)あってハッキリとはしていません(あるいは分骨して、4か所ともなのかも知れません)。

ただ確かなのは、夫・宍戸隆家の墓が天叟寺跡(現:広島県安芸高田市)にあり、その隣にある唯一の墓碑は、彼の継室(後妻。石見繁継の娘)のものであるということ。

つまり一緒の墓には入っておらず、もしかしたら生前から疎まれてしまっていたのかも知れませんが、毛利家はもちろん宍戸家の繁栄にも大きく貢献した五龍姫ですから、あの世ではみんな仲良く暮らして欲しいと思います。

※参考文献:
安芸高田市歴史民俗博物館『毛利元就をめぐる女性たち』安芸高田市歴史民俗博物館、2012年
笠原一男『日本女性史3 彼岸に生きる中世の女』評論社、1973年

 

RELATED 関連する記事