残業や泊まり込みまで!実はなかなかの「社畜」っぷりだった奈良時代の役人たちの実態
奈良時代の官僚たち
「働き方改革」によって、現代日本では会社組織も、また就業している個人もかなり意識改革が進んだところがあるようです。「社畜」などという言葉も一瞬だけ流行しましたが、最近は早くも使われなくなってきましたね。
もしかすると、多くの日本人は、現代の日本人は働きすぎであり、古代はもっとのんびり働きながらスローライフを送っていたに違いない……というイメージを抱いているかも知れません。
しかし、大昔の人々の生活は現代よりも優れていたはずだ、という考え方はある種のユートピア思想に過ぎません。今回は、奈良時代の官僚たちがどのような働き方をしていたのかを見ていきましょう。
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奈良時代、官位が五位以上であれば、働いても働かなくても収入が保証されていたようです。しかし、六位以下の下級役人は懸命に働かなくてはなりませんでした。
当時、下級役人は3,600人ぐらいいたようです。そのうち常勤職員である長上官が600人、非常勤職員である番上官は3,000人くらいだったと考えられます。
これが長上官なら年間240日、番上官なら140日出勤することで評価の対象となり、給料をもらえることになっていました。
常勤職員の場合は、現代の週休二日制の公務員と同じくらい出勤していたことになりますね。