縄文時代から食べ継がれてきた日本のクジラ料理!クジラへの感謝を込めた「鯨塚」も紹介:2ページ目
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クジラへの感謝を表した「鯨塚」
江戸時代の人々に広く親しまれたクジラ。江戸の人々は「あ~美味しかった!」だけで終わりませんでした。
捕鯨地域の漁村では捕獲して美味しくいただいた鯨や、座礁によって打ち上げられた鯨に対して「鯨塚」や「鯨墓」を建てて、感謝や供養を表しました。
その「鯨塚」が東京・品川にありました。場所は京急線北品川駅から歩いて5分ほどの場所。
寛政10年(1798)5月、品川浦の浅瀬に、長さ16m 高さ2mのクジラが品川沖の浅瀬に座礁しました。クジラが座礁したことは瓦版になり、江戸中の人々が見物に訪れ、賑わったといいます。
さらにこのクジラは浜御殿(現在の浜離宮恩賜公園)まで運ばれ、当時の将軍・徳川家斉の目にも触れました。江戸を驚かせたクジラはその後解体され、供養のために骨が埋められたこの場所に「鯨塚」が建てられました。
「鯨塚」は日本各地にありますが、東京ではここが唯一。
塚のそばには水面から顔を出すクジラのオブジェがありました。
品川は江戸湾に面しているため、江戸時代になると漁業や海苔作りが行われました。現在では全く想像できませんが、潮干狩りや舟遊びも楽しまれ、品川は海と密接して地域でした。
クジラへの感謝や供養を表した「鯨塚」。古くから親しまれてきたクジラは人々にとって、欠かすことのできない特別な存在だったのですね。
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