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「札付き」「折り紙付き」の”札”や”折り紙”って何のことを指しているの?
「札付き」ってなんのこと?
よく「札付きのワル」なんて言いますが、この札ってもともと何の札を指しているんでしょうか。
どうやら、この「札付き」の札は江戸時代にまでさかのぼることができるようです。江戸時代、現在の戸籍にあたる書類を「人別帳」と呼んでいましたが、素行の悪いものや駆け落ちしたものは、人別帳から削除され、「無宿人」になりました。この人別帳は町役人によって厳重に管理されていました。
最初の頃は、罪を犯したり、駆け落ちしたり、親から勘当されると外されていたのですが、時代が下ると、将来人別帳から外されそうな素行の悪い人物の名前のところに前もって「札」をつけるようになったそうです。ようは、問題をおこしそうな人物にあらかじめレッテルを張り、監視の対象にしたわけです。
ちなみに江戸時代の刑罰についてはこちらも合わせてごらんください。
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江戸時代、庶民の間には罪を犯した本人だけではなく、その家族や隣近所(五人組)などにも刑罰が及ぶ「連坐」という制度がありました。
家族や近所のなかに素行の悪いものがいると、自分たちも罪を着せられる可能性があったためにこのような防衛手段にでたのでしょう。
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