『豊臣兄弟!』降伏した元親を襲う残酷な悲劇…史実に見る四国攻めと秀吉・関白就任の舞台裏:2ページ目
於義伊は家康の実子なのか?
秀吉と和睦するために秀吉へ養子に出された於義伊(おぎい)。ちょっと変わった名前ですが、これは「ギギという魚に顔が似ていて気持ち悪い」ことからつけられました。ひどい話ですね。
於義伊の生母が妊娠した時、家康の正室である築山殿が彼女を家康の側室として承認せず、追放してしまいました。
そのため、家康も生まれた於義伊を認知せず放置していたのですが、秀吉への人質として呼び戻したようです。
劇中の時点で11歳となっており、秀吉の養子となって羽柴秀康(ひでやす)と改名します。これは「秀」吉+家「康」の組み合わせで、両雄の力関係を示す名前でした。
※秀吉としては足蹴にできる(名前の上に下の文字をあてがえる)存在ではなく、家康としては名前の下に下の文字をあてがう対等な関係です。
かくして秀康が誕生したのですが、実父に愛されなかったからか屈折したエピソードがいくつか残っており、もしかしたら今後劇中で描かれるかもしれません。
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近衛龍山はなぜ秀吉を猶子にした?
劇中では、侍になりたかった近衛龍山(前野朋哉)と、家柄だけが足りない秀吉が一致協力して親子関係が結ばれていました。
実際に近衛龍山が秀吉を猶子(ゆうし。相続権のない養子)としたことにより、秀吉は関白になっています。
五摂家(近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家)の筆頭格であった近衛家としては、氏素性もわからない成り上がり者の秀吉を猶子にしたくなかったでしょうが……。
劇中でも少し触れられていましたが、当時は龍山の嫡男である近衛伸輔(のぶすけ)と、現職の関白である二条昭実(にじょう あきざね)が関白職を巡って争っていました。
近衛家としては、秀吉の力を借りることで関白職を確保したかったのでしょう。いっとき秀吉を関白に据えて、その後には近衛家へ関白職を返す……訳がありませんね。
ともあれ、このまま二条家に関白職を奪われてなるものか、という切羽詰まった事情によって秀吉を(渋々)猶子としたのでした。
実際に京都へ行って対面交渉したという話は聞きませんが、その辺はドラマの演出です。
なぜ豊臣秀吉は「関白」の地位を望んだのか?征夷大将軍ではなく貴族のポジションを選んだその理由
3ページ目 割愛された谷忠澄の活躍、元親の降伏後、四国はどうなった?



