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「千々石ミゲル」は本当に”背教者”だったのか?墓の発掘調査で明らかになったキリシタン信仰の実態!

「千々石ミゲル」は本当に”背教者”だったのか?墓の発掘調査で明らかになったキリシタン信仰の実態!

「背教者」千々石ミゲル

キリスト教は16世紀後半に日本全国に広がりましたが、徳川幕府は禁教令を発布し、苛烈な弾圧を実行しています。

そんな中、ローマ教皇に謁見までした千々石ミゲルは長らく「背教者」とされてきましたが、最近はその見方も覆りつつあります。その信仰の実態について見ていきましょう。

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1549年に日本に伝わったキリスト教は、1587年の豊臣秀吉の伴天連追放令から規制が始まり、徳川幕府が1612年に発した禁教令によって信仰そのものが禁じられました

世俗の権力よりも信仰や教義を優先し、信徒は反乱や侵略の先兵となる危険性もはらんでいたことから、神仏の国・日本における「邪教」と位置づけられたのです。

当時30万人以上いたとされるキリスト教徒は、棄教するか、仏教徒を装いひそかに信仰を維持する「潜伏キリシタン」となるかを強いられました。

禁教期の潜伏キリシタン関連遺構はあまり残っていませんが、近年、信仰の実態に迫る発見がありましたた。

天正遣欧使節の一員で、帰国後に棄教したとされてきた千々石ミゲルと、その妻が埋葬されたとみられる遺構から信仰具の一部が見つかったのです。

それによって、彼らが信仰を守り続けていた可能性が強まりました。

2ページ目 発掘調査で分かったこと

 

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