「千々石ミゲル」は本当に”背教者”だったのか?墓の発掘調査で明らかになったキリシタン信仰の実態!:3ページ目
脱会後も信仰し続けていた
脱会後のミゲルの足取りから、彼はイエズス会は抜けても信仰自体は捨てていなかった可能性が高いです。
日本で布教したイエズス会の宣教師アフォンソ・デ・ルセナの回想録などによると、ミゲルは脱会後、キリシタンの大村藩主・大村喜前に仕えました。
しかし喜前が棄教し、取り締まりが強まった1606年頃に逃亡し、島原半島のキリシタン大名・有馬晴信に再仕官しています。
ルセナはミゲルを棄教者と断定しており、「なかなか枯れない雑草」と評しつつも、「釈迦や阿弥陀を崇拝しないから異教徒であるとは思われない」とも記しています。
ただ、ミゲルが移った先はいずれも信仰が浸透したキリシタン王国といえる地でした。そもそも棄教者が向かう場所ではありません。
イエズス会宣教師の中には日本人を蔑視し、日本人奴隷の売買に関わったり、武力制圧を唱えたりする者もいました。こうした排他的・非人道的な内実を見抜いてミゲルが脱会した可能性もあります。
先述の発掘調査が行われた伊木力は大村藩時代のミゲルの旧領地で、イエズス会とは別の修道会の信徒が多くいました。苦難の末に故地にたどり着き、ひそかに信仰を貫いたのなら、ミゲルは最初期の潜伏キリシタンといえるでしょう。
ミゲル=棄教者説が覆ると、イエズス会が都合のいい解釈で記録を残した可能性も考えられます。ミゲルの人物像のみならず、当時の史料も再検証が求められるかも知れません。
参考資料:
中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia