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なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯

なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯

以後よく(1549年)広まるキリスト教……と、日本史の授業で語呂合わせを覚えた方も少なくないのではないでしょうか。

時は天文18年(1549年)、スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルによって日本へキリスト教が伝えられました。

しかしそれ以前に洗礼を受け、キリスト教に入信した日本人がいます。

ザビエルの通訳を務めたヤジロウが、日本史上初の切支丹(キリシタン。キリスト教徒)と考えられています。果たしてこのヤジロウとは何者なのか?謎の多い生涯と人物像について、紹介してまいりましょう。

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人呼んで天使(アンジェロ)弥次郎?

ヤジロウ(弥次郎か)は生没年不詳、一説には永正8年(1511年)ごろ、薩摩か大隅(鹿児島県の西部と東部)で生まれたと言われています。

また一説では、在地の豪族であった禰寝(ねじめ)氏庶流•池端氏の出身とも言われているそうですが、はっきりしたことは分かっていません。

ルイス・フロイス『日本史』によると、ヤジロウは八幡(やわた、ばはん。海賊)であったと言われ、若い頃に殺人を犯して国外へ逃亡したそうです。

各地を逃げ回っていたヤジロウはアンジロウ(安次郎か)と訛って呼ばれたり、洋風にアンジェロ(天使の意)と呼ばれたりしました。

敵を天に召す(殺す)様子を皮肉られたか、あるいは背中に翼が生えたように逃げ足が早かったためかも知れません。

いずれにしても二つ名で呼ばれる人物などロクな者ではないでしょう。

しかしそんなヤジロウも、ザビエルとの出会いによって大きく変わりました。

洗礼を受け「聖信のパウロ」に

ヤジロウがザビエルと出会ったのは天文16年(1547年)12月。ポルトガル商人ジョルジュ•アルヴァレスがマラッカで二人を引き合わせます。

ザビエルの計らいでインドのゴアへ移動したヤジロウは翌天文17年(1548年)、ペンテコステ(聖霊降臨祭。イースターから50日目の祭礼)の日に洗礼を受けました。

ボン•ジェス教会で受洗したヤジロウは「聖信のパウロ」を意味するパウロ•デ•サンタ•フェの名を授かります。

パウロとなったヤジロウはゴアにある聖パウロ学院でキリスト神学を修め、信仰に生きるようになりました。

やがて天文17年(1548年)11月にゴアの宣教監督となったザビエルは、ヤジロウに日本における布教の可能性を諮問します。

「日本人は温厚で善良ですから、きっとデウスの教えを受け入れるでしょう(意訳)」

ヤジロウの助言に基づき、ザビエルは日本での布教を決断。翌天文18年(1549年)4月15日にゴアを出航、日本を目指しました。

2ページ目 薩摩に上陸したザビエル宣教団

 

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