なんと日本初のキリシタンは海賊だった!”天使”の異名を持つ男「ヤジロウ」がザビエルと共に歩んだ生涯:3ページ目
約2年にわたる日本での布教活動
その後ザビエルはおよそ2年間にわたって各地で布教活動を展開します。今回はダイジェストでお送りしましょう。
天文19年(1550年)
- 肥前国平戸で布教
- 周防国山口で無許可布教
天文20年(1551年)
- 京都で布教、挫折して平戸へ戻る
- 山口で再布教、大道寺を拠点に
- 豊後国で布教、大友義鎮に保護される
日本での布教が徐々に実を結び始めていましたが、ザビエルはインドからの連絡がないことを気にしていたようです。
そこで天文20年(1551年)11月15日、ザビエルはインドを視察するため、一度日本を離れることにしました。
ザビエルは日本人青年4名(アントニオ、ジュアン、ベルナルド、マテオ)を同行させます。
トーレス神父やフェルナンデス修道士、そしてヤジロウたちは日本に残ることとなりました。
かくして日本を離れたザビエル。彼が日本に戻ってくることはなかったのです。
エピローグ
ザビエルが日本を去ってからというもの、ヤジロウがどのような末路をたどったのか、確かなことは分かっていません。
ルイス・フロイス『日本史』によると、ヤジロウは棄教して海賊稼業に戻り、明国付近で殺されたそうです。
またジョアン・ロドリゲス『日本教会史』やフェルナン・メンデス・ピント『東洋遍歴記』では、仏教徒の迫害によって日本を追われ、明国付近で海賊に殺されたとか。
いずれにしても、あまり幸福な晩年ではなかったようです。
鹿児島県にはヤジロウが生き延びて布教を続けていたという伝承があり、隠れキリシタンのクロ教(クロ宗)はヤジロウが伝えたとも言われます。
果たして真相はどうなのか、今後の究明に期待ですね。
※参考文献:
- 上田正昭ら『コンサイス日本人名辞典 第5版』三省堂、2009年1月
- 梅北道夫『ザビエルを連れてきた男』新潮社、1993年12月
- 岸野久『サビエルの同伴者アンジロー 戦国時代の国際人』吉川弘文館、2001年8月
- 岸野久『ザビエルと日本 キリシタン開教期の研究』吉川弘文館、1998年11月
