
世界初の画期的な試み!江戸時代、鬼平・長谷川平蔵は犯罪者の更生施設「人足寄場」も設立していた!【後編】:2ページ目
相場介入と賃貸収入
平蔵は、松平定信の了承を得て町奉行と同席の上で、物価を引き下げるよう江戸の大商人に命じました。
これによって銭貨の価値が上がり、金貨の価値が下がります。
その結果、銭相場は1両につき6貫200文から5貫300文に下がり、金安銭高になります。
そこで平蔵は再び金を買い戻し、御金蔵に3000両を返済した後の残金を寄場予算としました。
つまり、現代風に言えば政府が意図的に相場へ介入し、それで得た儲けで行政施設の運営資金に充てたわけです。今だったらとんでもない話ですね。
これによって、彼は大きな利益を得ています。ただしこのやり方は、清廉潔白な政治をモットーとする松平定信には嫌悪されたようです。
長谷川が、ついに奉行になれず本来は臨時職である火付盗賊改長官のポジションから最後まで動くことがなかったのは、こうした原因もありました。彼は定信から守銭奴と見なされて嫌われていたのです。
ちなみに、人足寄場の空き地は材木・かきがら・種炭などの置場として民間業者に賃貸され、この賃貸料によって寄場費用の3分の1を補ったそうです。
放蕩時代の平蔵は、屋敷の一部を町人に賃貸していたことがありました。その経験がここで活かされたのでしょう。