
世界初の画期的な試み!江戸時代、鬼平・長谷川平蔵は犯罪者の更生施設「人足寄場」も設立していた!【後編】:3ページ目
世界初の更生施設としての成果
ところで、収容者が作った物の売上の2割は差し引かれますが、残金の3分の2は収容者に支払われました。
そして、「自分」=自立厚生を建前に、食事代、衣服代、髪結い代、風呂代、鼻紙代などが差し引かれます。
さらに残金の3分の1は強制的に本人の貯金とされ、一定額が貯まると釈放されたのです。
寛政2年(1790年)、平蔵は寄場設置の功労で金3枚と時服を賜っています。
また寛政4年(1792年)、人足寄場の任を解かれる際には褒美として金5枚を授かりました。
人足寄場は厳罰による犯罪抑止とは異なり、犯罪者の改心によって放免させる施設として、世界に先駆けた更生施設でした。前述の通り、平蔵は松平定信から嫌われていたとはいえ、その働きぶりは確実に評価されていたのです。
ちなみに似たような発想のものとして、イギリスのノーフォーク島で1840年代に導入された仮釈放制度が挙げられます。
これはアレクサンダー・マコノキーが考案した「マーク制度」が基で、囚人の更生を目指す画期的なものでした。良い行動で点数を貯め、条件付き解放を得るという仕組みだったのです。
この制度は後の仮釈放制度に影響を与え、近代刑罰の原型となりました。
で、世界的に革新的とされたこの制度よりも一年早く、平蔵は「犯罪者の更生」の観点から人足寄場を設置していたことになります。
こうした囚人の更生施設の設置は、実は世界初の画期的な試みだったのです。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia