
かつて日本に存在した「蝦夷共和国」実は共和国ではなかった!?総裁・榎本武揚の真意はどこにあったのか:2ページ目
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独立国家を目指してはいなかった
さて、ここまでの経緯は多くの人が御存じの通りですが、実は榎本が樹立した蝦夷共和国について、近年、これは真の共和国ではないという指摘があります。
北海道大学名誉教授の田中彰は自著の『明治維新』(講談社学術文庫)の中で、この共和国は「戊辰戦争の最後の拠点をここに求めた、旧幕臣を中心とした『サムライだけ』の『共和国』にほかならなかった」と述べています。
確かに、榎本は江戸を脱出する前に「徳川家臣大挙告文」という趣意書を起草しています。その中で「徳川家臣を救済するため、かつて蝦夷地の開墾を申請したが許可を得られないので、あえて一戦を辞さない覚悟で江戸湾を退去する」という内容のことを書いています。
つまり、榎本の構想では、蝦夷地はあくまでも旧幕臣らが生活していくための地であり、それを新政府に認めてもらおうというのが真意だったのです。
榎本はまた、蝦夷地で政権を樹立したあとも新政府に嘆願書を送り、「自分たちの政権のために徳川家の血筋の者を選んでほしい」と嘆願しています。
ちなみに田中は榎本の政権についてこう述べています。「天皇政府を肯定し、『一には皇国の為め、二には徳川の為め』、旧幕臣をやしない、北門の警固にあたろうというものであった。とすれば、これは旧幕臣の夢を託した『共和国』であって、民衆を基盤とした共和国とはおよそ縁遠い存在だった」と。
結局、榎本が目指したのは独立国家ではなく、新政府の下で旧幕臣によって運営される、ある種の自治区だったのです。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い! 変わる日本史』宝島社 (2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
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