藤原道長の娘なのに「たゞ人(ただの人)」と結婚させられた五女・尊子の生涯をたどる【光る君へ】:2ページ目
姉妹で唯一「たゞ人」と結婚
ところで、道長の娘は6人いましたが、皇族でも公卿でもない「たゞ人(ただの人)」に嫁いだのは尊子だけでした。
この扱いについて、同母兄の頼宗や能信らは大いに不満を持ったと言います。
「側室の娘だからただ人に嫁がせたのだ!こんな不公平が許されていいのか!」
しかし当時は10代半ばで結婚するのが通例である中、尊子は22歳で結婚。これは結婚適齢期にある相手がいなかったためであり、いわば苦渋の決断とも言えるでしょう。
また源師房は元皇族であり、道長の一族と皇室のつながりを保つ上でも重要な存在でした。
合わせて道長は源師房を大切に可愛がっており、決して尊子を粗末にはしていなかったことが分かります。
幸せな家庭を築く
かくして結婚した二人の仲は半世紀以上にわたって良好であり、子供たちにも恵まれました。
- 源俊房(としふさ)
- 源顕房(あきふさ)
- 仁覚(にんがく。出家)
- 源麗子(れいし/うるわしこ)
- 源妧子(げんし/もとこ)
- 源澄子(ちょうし/すみこ)
源俊房と源顕房兄弟はそれぞれ左大臣と右大臣に並び立ち、源麗子と源妧子はそれぞれ藤原頼通の子息と結婚します。
また結婚時点でこそ「たゞ人」であった夫の源師房もやがて公卿となり、周囲を見返したことでしょう。
(と、少し思わせぶりな書き方をしましたが、実は結婚直後に道長の引き立てて公卿になっています)
やがて承保4年(1077年)に源師房が薨去すると、尊子は出家。その10年後となる寛治元年(1087年)7月7日に世を去ったと言われていますが、彼女の晩年について詳しいことは分かっていません。
80歳以上の長寿を保ち、家族と幸せに暮らした尊子。他の姉妹たちに比べて、格段に幸福な生涯であったと言えるのではないでしょうか。
終わりに
今回は道長の五女・藤原尊子について紹介してきました。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」に登場するかは分かりませんが、今から楽しみにしています。
もし登場するなら、誰がキャスティングされるでしょうか。その辺りも楽しみですね!
※参考文献:
- 金子幸子ら編『日本女性史大辞典』吉川弘文館、2008年1月
- 元木泰雄 編『王朝の変容と武者』清文堂、2005年6月