あの佐々木兄弟も子孫!源倫子の父・源雅信から鎌倉御家人までの系図を『尊卑分脈』でたどる【光る君へ 後伝】:2ページ目
源章経(あきつね)
長保2年(1000年)生~天喜6年(1058年)没
名前のみで記述なし。他文献によると別名は源義経(よしつね)、兵部丞を勤め従五位下まで昇ったという。
源経方(つねかた・佐々木経方)
生没年不詳
住近江国佐々木
従五下 號源大夫※『尊卑分脈』より
【意訳】近江国佐々木に移住し、佐々木の苗字を名乗った。
従五位下に叙せられ、源大夫(げんのたいふ)と称する。
大夫とは四等官のカミ(長官)に相当するが、官職は不明。
佐々木季定(すえさだ)
生没年不詳
『尊卑分脈』では名前のみで詳細不明。
別名は佐々木為俊(ためとし)、従五位下に叙せられ、式部丞に任じられた。
人々からは源次大夫(げんじのたいふ)と呼ばれる。父親から受け継いだか。
佐々木秀義(ひでよし)
天永3年(1112年)生~元暦元年(1184年)7月19日没
六条判官為義猶子
佐々木源三※『尊卑分脈』より
【意訳】通称は源三(げんぞう/げんざ)。六条判官こと源為義(ためよし。頼朝公祖父)の猶子(相続権のない養子)となる。
佐々木兄弟の父。