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あの佐々木兄弟も子孫!源倫子の父・源雅信から鎌倉御家人までの系図を『尊卑分脈』でたどる【光る君へ 後伝】

あの佐々木兄弟も子孫!源倫子の父・源雅信から鎌倉御家人までの系図を『尊卑分脈』でたどる【光る君へ 後伝】:3ページ目

そして佐々木兄弟

佐々木定綱

康治元年(1142年)生~元久2年(1205年)4月9日没

佐々木兄弟の長男。鎌倉殿三代(頼朝・頼家・実朝)に仕える。のち検非違使を務めるなど幕府の重鎮として活躍。

佐々木経高

生年不詳~承久3年(1221年)6月16日没

『尊卑分脈』では割愛。側室の子だから。頼朝公挙兵の第一矢を放ち、数々の武勲を立てるも源頼家に冷遇され、承久の乱では官軍に属して討死。

佐々木盛綱

仁平元年(1151年)生~没年不詳

頼朝公挙兵以来、数々の武勲を立てる。頼朝公没後は出家するも、幕府を支え続けた。

佐々木高綱

永暦元年(1160年)生~建保2年(1214年)11月6日没

宇治川の合戦で梶原景季と先陣を争ったエピソードで有名。兄たちと共に数々の武功を上げる。

終わりに

【宇多源氏・略系図】

……宇多天皇-敦実親王-源雅信-源扶義-源成頼-源章経-佐々木経方-佐々木季定-佐々木秀義-佐々木定綱ら……

※『尊卑分脈』宇多源氏

今回は源雅信から近江源氏の佐々木兄弟までの系譜をたどってきました。

やんごとなき貴族と鎌倉武士にはギャップがありますが、これも世の移ろいというものでしょう。

平安の世が次第に武士たちの世へと移り変わる様子は、王朝文化の端々に現れていきます。

まさに紫式部や藤原道長の生きた10世紀末から11世紀初頭がその過渡期となりました。

果たして大河ドラマ「光る君へ」でも、その気配が描かれるのか、今から楽しみにしています。

※参考文献:

  • 藤原公定 撰『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集 第19-20巻』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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