「武士」のルーツは”地方の無法者”ではない!実は朝廷や皇族と密接な関係にあった武士の実態【後編】:2ページ目
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一世紀頃から既に存在していた武士団
ところで、貴族が武士たちを体制内に取り入れてコントロールしていた例は、一世紀頃から既に見受けられます。
当時、中国東北部にいた女真人たちが高麗の沿岸に侵入・略奪を繰り返すようになっていたのですが、その女真人たちが1019年に壱岐・対馬を襲撃するという事件が起こりました。刀伊の入寇です。
この時は、大宰府にいた藤原隆家が九州の武士たちを率いて女真人を撃退したのですが、これは貴族が武士たちを体制内に取り入れてコントロールしていた例だったと言えるでしょう。
国司のもとで武士団が組織されていたからこそ、隆家は彼らを統率して戦えうことができたのです。
今までは「武士」として大雑把にひとくくりにされていた「兵」「武者」「侍」のような人々は、単なる地方出身の無法者ではありませんでした。
むしろ彼らは地方の乱や事件を通じて朝廷や国司の下にまとめられ、やがて都の宮廷社会での出世をめざし、藤原氏や院(上皇や法皇)との関係を深めていったのです。
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社
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