平安時代の刑罰の種類まとめ、花山天皇の女御など…直秀ロスが癒えぬ中「光る君へ」3月3日放送振り返り:3ページ目
三人の女御たち
劇中でも言及されていたとおり、花山天皇には藤原忯子の他にも三人の女御がいました。
婉子女王(えんし/つやこじょおう)と藤原諟子(しし/ただこ)、そして藤原姚子(ちょうし/とうこ)です。
花山天皇の女御(おんな)は早逝した藤原忯子だけじゃなかった!それぞれの生涯をたどる【光る君へ】
17歳で皇位に就き、様々な政治改革に乗り出した花山天皇(師貞親王)。しかし最愛の女御・藤原忯子(しし/よしこ)を喪ったショックで出家・引退してしまいます。[caption id="at…
既に紹介していますが、こちらでも改めてざっくり紹介しましょう。
婉子女王
天禄3年(972年)生~長徳4年(998年)9月17日没
村上天皇の孫娘に当たり、はじめは花山天皇に寵愛されたものの、すぐに飽きられてしまいます。
藤原忯子が亡くなると再び召し出されますが、病を理由に辞退しました。
やがて花山天皇が出家すると藤原実資と再婚しますが、27歳の若さで世を去ります。
藤原諟子
生年不詳~長元8年(1035年)6月21日没
関白・藤原頼忠(橋爪淳)の娘。藤原遵子(中村静香)や藤原公任(町田啓太)の姉妹に当たります。
花山天皇からは特別な寵愛を受けなかったようですが、二人の関係は細く長く続いたそうです。
盛り上がりには欠けるものの、入内からおよそ半世紀にわたって長寿を保ったのでした。
藤原姚子
天禄2年(971年)生~永延3年(989年)5月29日没
醍醐天皇の孫娘に当たり、鳴り物入りで入内しますが、肝心の花山天皇には寵愛されませんでした。
そのため入内からわずか1ヶ月で内裏を去ってしまい、堀河に住んだことから堀河女御と呼ばれます。
藤原実資(秋山竜次)も、劇中で口にしながら「見込みはないだろうな」と思っていたことでしょう。