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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」おんな城主お市の最期。茶々に受け継がれる天下取りの野望。第30回放送「新たなる覇者」振り返り

「どうする家康」おんな城主お市の最期。茶々に受け継がれる天下取りの野望。第30回放送「新たなる覇者」振り返り:3ページ目

いつ、誰が眠ってたって?関東の雄・北条氏政の戦歴をとくと見よ!

……甲斐の若御子にて数月の間北條氏直と御対陣有しとき。氏直より一族美濃守氏規して和議の事こひ申により。上州を北條が領とし。甲信二国は 当家の御分国とせられ。且督姫のかたもて氏直に降嫁あらんよし……

※『東照宮御実紀附録』巻四「家康與北條氏盟約」

さて。偉大なカリスマを喪ったことで織田家の屋台骨が揺らぎかけると、織田領の辺境地域では少なからず混乱が勃発しました。その一つが武田家亡き後の甲斐・信濃・上野。現代の山梨・長野・群馬に当たります。

突如生じたこの空白地帯をいかに切り取るかが、今後の明暗を分けると確信した家康は、互いに同地を狙う北条氏政(演:駿河太郎)と対峙しました。

結果は概ね劇中の通り。北条から「上野を貰えれば甲斐・信濃からは手を引く。また、ご息女を嫁にお迎えしたい」との条件が提示されます。

娘一人で国一つなら、悪くない交換レート。というわけで家康はこれを快諾しました。

さて、娘は誰を出そうか……そうだ。しばらく前に側室のお葉(演:北香那。西郡局)に産ませた次女のおふう(清乃あさ姫。督姫)を氏政嫡男・北条氏直(演:西山潤)に嫁がせたのです。

ひとまずこれでめでたしめでたし(※え、真田の恨み?そんなの大した事ないっしょ)……劇中ではそんな感じで片付けられていました。だがちょっと待って頂きたい。

北条が「眠れる獅子」と評されていましたが、氏政が家督を継いだ永禄2年(1559年)以来、北条にいつ寝る余裕がありましたか?

あンの小にっくらしい猿(秀吉)めが「関東の隅っこでぬくぬくとしていた」などと吐(ぬ)かしておりましたが、それは越後の龍と恐れられた長尾景虎(ながお かげとら。上杉謙信)とおよそ十年間にわたる抗争を繰り広げた過去を知っての暴言でしょうか。

もうすぐ関東一円を切り従えると思っていたのに、神のごとき武威を前に、片っ端から覆されえてしまいました。

味方の城は次々と陥落・降伏していき、残る城はほんのわずか。最後は小田原城に立てこもり、相手の兵站(へいたん。補給ルートやシステム)や諸勢力との結束に綻びが生じ、引き下がってくれるまでひたすら耐え忍んだのでした。

長尾が引き揚げたら地道に奪い返し、また長尾が来たらまた寝返られを繰り返した年月は、まさに心身を削られるものだったはずです。

更には窮地の今川氏真(演:溝端淳平)を助けるため武田信玄(演:阿部寛)と断交・開戦。後に一時休戦したものの、天正7年(1579年)に勃発した御館の乱で煮え湯を飲まされたことから、再び武田勝頼(演:眞栄田郷敦)と争います。

また関東には常陸の佐竹義重(さたけ よししげ)や房総の里見義弘(さとみ よしひろ)と言った勢力が頑強に抵抗しており、絶えず一進一退の攻防戦を繰り返していました。

つけ加えるなら氏政自身も18歳の時から最前線で槍を振るい、数々の戦場で武勲を重ね続けた豪傑。兵の駆け引きもここ一番の度胸も備えていました。

劇中では親子揃ってこれ見よがしに汁かけ飯を啜り、暗愚っぽい雰囲気をアピール(※)していましたが、それは(描く側が)結果だけしか見ていないからでしょう。

(※)氏政が子供のころ、食事の時に飯の汁を一度かけて、食っている途中に再度汁をかけたのを見た父・北条氏康(うじやす)が、「毎日同じ飯を食っているのに、必要な汁の量すら分からないバカ息子だから、きっと当家を滅ぼすだろう」と嘆いたエピソードに基づきます。

しかしこれも結果から見た後世の創作と考えられており、ステレオタイプな「家康の引き立て役」ぶりが、ちょっと残念でした。これから見返して欲しいですね!

4ページ目 賤ヶ岳の合戦〜秀吉の言いがかりで清洲会議の合意は破綻

 

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