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大岡弥四郎の謀叛について
信康と瀬名を殺して岡崎城を乗っ取り、勝頼に明け渡そうと企んでいた大岡弥四郎。こちらも『徳川実紀』を読んでみましょう。
……よて弥四郎をばめし囚て獄につなぎ。その家財を籍収せしむるにをよび。弥四郎が甲斐国と交通する所の書翰を得たり。その書の趣は。此度弥四郎が親友小谷甚左衛門。倉地平左衛門。山田八蔵等弥四郎と一味し勝頼の出馬をすゝめ。勝頼設楽郡築手まで打ていで先鋒を岡崎にすゝめば。弥四郎 徳川殿といつはり岡崎の城門を開かしめ。その勢を引き入れ 三郎殿を害し奉り。その上にて城中に籠りし三遠両国の人質をとり置なば。三遠の者どもみな味方とならん。しからば 徳川殿も浜松におはし。かねて尾張か伊勢へ立のき給はん。是勝頼刃に血ぬらずして三遠を手に入らるべしとなり。勝頼この書を得て大に喜び。もし事成就せんには恩賞その望にまかせんと。誓詞を取かはして築手まで兵を進めけり。かゝる所に悪徒の内山田八蔵返忠して信康君にこの事告奉りしより遂に露顕に及びしなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻三「誅大賀弥四郎」
【意訳】弥四郎を捕らえて投獄し、全財産を没収したところ、中から勝頼の密書が発見された。その文面は「弥四郎・小谷甚左衛門(おだに じんざゑもん)・倉地平左衛門(くらち へいざゑもん)・山田八蔵が武田軍を岡崎城内に引き入れて信康を殺害。城内にいる家臣たちの妻子を人質にとれば、家康は孤立して尾張か伊勢へでも逃亡するだろう」云々。これは心変わりした山田八蔵の通報によって露顕したのであった。
……劇中では八蔵が心変わりしたキッカケとして、聖女瀬名にやさしく手当してもらったことを描いていました。しかし起請文に血まで垂らして(なぜ血判を捺さない?)おきながら、心変わりする動機としては弱すぎるように感じます。
ともあれ武田に内通した動機として「信長の命令で戦わされてばかりは嫌だ」などと叫び散らした弥四郎。
心情として解らなくもありませんが、それでいざ勝頼に寝返ったら、今度は対徳川・織田戦の盾にされるのは本望なんでしょうか?
武田家に駿河先方衆(するがさきがたしゅう)という言葉がありました。これはかつて信玄に降伏し、常に危険な最前線へ投入された今川旧臣らを指す言葉です。後に高天神城を守って討死する岡部元信(演:田中美央)らが有名ですね。
戦争は嫌だ、大義なんて【自主規制】くらえだ!……などと、戦国武将の口を借りて主張したい制作者の意図は察しました。
しかし戦国時代のリアリティとしては、いっそ「好条件を示されたから裏切ったんだよ文句あるか」と言われた方が、まだ納得できます。
謀叛を起こす弥四郎も、心変わりする八蔵も、今一つ動機が弱い。言い換えれば覚悟が足りない。他人事ながら、そんな苛立ちが残る場面でした。
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