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「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り
恐れていたことが、予想どおりに起きてしまいました。
金ヶ崎の退口と言ったら、徳川家康(演:松本潤)の武勇と律儀ぶりを天下に知らしめた大舞台。それを「何やかんや」で片づけるって……どういうことですか?
姉川の合戦も、やっぱり予想どおり。開戦前はモジモジしていた家康が、いざ決断すると先陣を切って大活躍。あっさり勝利してしまう「神展開」に。
戦闘シーンはほぼオマケ、織田信長(演:岡田准一)に従うか、浅井長政(演:大貫勇輔)に寝返るか……結局は信長に逆らえず、耳をかじられて終了。
一方、ガラ空きの遠江を見て武田信玄(演:阿部寛)が領土拡大の野心を燃やして調略を開始。反徳川感情を煽り立てた結果、浜松へ乗り込んで来た家康に一人の刺客が襲いかかりました。
女装していた美少年の名は井伊虎松(演:板垣李光人、井伊直政)。後に徳川四天王の一人として大活躍する彼も、今はただ家康に憎悪を燃やすばかりです。
NHK大河ドラマ「どうする家康」、第15回放送は「姉川でどうする!」でした。
文字通り姉川の合戦(元亀元・1570年6月28日)について描かれていたものの、家康がどっちにつくかの決断が勝敗を左右しかねなかったという展開は、果たして史実どおりなのでしょうか。
今回も江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』を中心に、大河ドラマを振り返りたいと思います。
実際どうだった?姉川の合戦
……かくて信長は浅井父子が朝倉に一味せしを憤る事深かりしかば。さらば先浅井を攻亡ぼして後朝倉を誅すべしとて。また御加勢をこわれしかば。この度も又御みづから三千余兵をしたがへて御出陣あり。五月廿一日近江の横山の城へはをさえを残し小谷の城下を放火す。浅井方にも越前の加勢をこへば。朝倉孫三郎景紀を将として一万五千余騎着陣し。六月廿八日姉川にて戦あり。はじめ信長は朝倉にむかへば 君には浅井とたゝかひ給へとありしが。暁にいたり信長越前勢の大軍なるをみて俄に軍令を改め。我は浅井をうつべし。徳川殿には越前勢へむかひたまへと申進(知)らせらる。御家人等是をきゝ。只今にいたり御陣替然るべからずといなむ者多かりしかど。君はたゞ織田殿の命のまゝに。大軍のかたにむかわんこそ。勇士の本意なれと御返答ましまし。俄に陣列をあらため越前勢にむかひたまふ。かくて越前の一万五千余騎 君の御勢にうつてかゝれば。浅井が手のもの八千余騎織田の手にぞむかひける。御味方の先鋒酒井忠次をはじめえい聲あげてかゝりければ。朝倉勢も力をつくしけれどもつゐにかなはず。北国に名をしられたる真柄十郎左衛門など究竟の勇士等あまたうたれたり。浅井方は磯野丹波守秀昌先手として織田先陣十一段まで切崩す。長政も馬廻をはげましてかゝりければ。信長の手のものもいよゝゝさはぎ乱て旗本もいろめきだちぬ。 君はるかにこの機を御覧ありて。織田殿の旗色みだれて見ゆるなり。旗本より備を崩してかゝれと下知したまへば。本多平八郎忠勝をはじめ。ものもいはず馬上に鎗を引提て浅井が大軍の中へおめいてかゝる。ほこりたる浅井勢も 徳川勢に横をうたれふせぎ兼てしどろになる。織田方是にいろを直してかへしあわせければ。浅井勢もともに敗走してけるも。またく 徳川殿の武威によるところなりとて。今日大功不可勝言也。先代無比倫。後世雖争雄。可謂当家綱紀。武門棟梁也との感書にそへて。長光の刀その外さまゞゝの重器を進らせらる。(これを姉川の戦とて御一代大戦の一なり。)……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「姉川戦(大戦之一)」
時は元亀元年(1570年)6月28日、織田・徳川と朝倉・浅井は姉川をはさんで対峙しました。
家康は援軍3,000を率いて浅井と戦う段取りをしていましたが、信長より急遽「やっぱり朝倉に当たってくれ」と陣替(じんがえ)を要請してきます。
どうやら信長は当初「朝倉の方がチョロそうだから、自分がこっちを担当して、家康は浅井とやってもらうか」と思っていたのですが、いざ来てみると朝倉勢はざっと15,000。
それで慌てて「やっぱりチェンジして」と言ってきたのです。これを聞いて徳川家臣団は冗談じゃないと怒り出しました。
しかしそこは「我らが神の君」、家臣たちを「大軍を相手に戦ってこそ、武士の誉れではないか」となだめて、陣替に応じたのです。
さぁ合戦が始まりました。徳川勢は5倍の敵も恐れず突き進み、織田勢も8,000の浅井勢と槍を交えます(織田の兵数は不明ながら、朝倉>織田>浅井と考えれば約10,000と推定)。
酒井忠次(演:大森南朋)や本多忠勝(演:山田祐貴)らの奮戦によって朝倉勢を蹴散らし、北陸の豪傑・真柄直隆(まがら なおたか。十郎左衛門)を討ち取るなど大戦果を上げました。
※この勝利は、榊原康政(演:杉野遥亮)が別動隊を率いて朝倉勢の背後を衝いたことが奏功したと言います。
やれやれ、ここらで一休み……と織田勢を見れば、何と浅井勢に押されまくっているではありませんか。
近江の猛将・磯野丹波(いその たんば。秀昌、員昌)によって陣構を十一段まで突き崩され、さすがの信長も大慌てです。
これを見た「我らが神の君」は、盟友の窮地を救わずして武士の面目あるものかと浅井勢へ攻めかかりました。
織田勢を攻めるのに夢中だった浅井勢は急な加勢にしどろもどろ。「まさか徳川が、こんなに早く(というか、そもそも)朝倉を蹴散らすなんて」と泡をくって退却していきます。
「いやぁ助かった。さすがは俺の白兎。感謝するぜ」
戦い終わって日が暮れて、信長は家康に感状(感謝状)を贈りました。
今日大功不可勝言也。先代無比倫。後世雖争雄。可謂当家綱紀。武門棟梁也
【意訳】今日のMVPは言うまでもなくお前だ。空前絶後の大手柄は、まさに武門の棟梁である(あれ、信長自身はそれより上の何?)。
もうベタ褒めのオンパレード。よほど家康が大好きで、かつ頼りにしていたのでしょうね。信長は上機嫌で長光(ながみつ)の刀をはじめ様々な宝物を恩賞として与えたのでした。
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