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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 誰もが裏切り、去っていく中…最後まで今川氏真を守り抜いた忠臣・朝比奈泰朝【どうする家康】

誰もが裏切り、去っていく中…最後まで今川氏真を守り抜いた忠臣・朝比奈泰朝【どうする家康】

永禄11年(1568年)に駿府を追われてしまった氏真を懸川城へ迎え入れ、徳川勢を相手に徹底抗戦。翌永禄12年(1569年)5月に氏真が降伏、北条氏康(ほうじょう うじやす)の元へ身を寄せるとこれに付き従いました。

かくして名門・今川家は滅亡したものの、泰朝は何とか御家を再興しようと上杉謙信に援助を要請しています。

しかし元亀2年(1571年)に氏康が亡くなり、嫡男の北条氏政(うじまさ)が家督を継ぐと、武田と北条の同盟が復活してしまいました。

北条家中において肩身の狭くなった氏真は、元亀2年(1572年)ごろに家康の元へ身を寄せる決断を下します。これに泰朝は猛反対したでしょう。

「徳川の慈悲を受けて命を永らえようとは、今川の誇りをお忘れか!」

「うるさい、背に腹は代えられんのじゃ!」

「……然らば御免!」

ついに泰朝は氏真と決別、そのまま消息を絶ったということです。

終わりに

以上、朝比奈泰朝の生涯をごくざっくりとたどってきました。氏真に対する忠義は確かだったものの、家康に膝を屈するのは耐えられなかったのでしょうね。

ちなみに寝返った方の朝比奈信置は武田家臣として活躍したものの、武田家の滅亡後に織田信長(演:岡田准一)の命で自刃して果てます。

また、泰朝の子孫たちは酒井忠次(演:大森南朋)に仕えてその家名と血脈を後世へと受け継ぎました。

大河ドラマでは名前しか出ないような武将たちにも、当然それぞれの葛藤や決断があったのです。みんな全力で生き抜いていたことに思いを馳せてみると、ドラマ観賞にもより深みが出るのではないでしょうか。

※参考文献:

  • 小和田哲男 編『戦国大名家臣団事典 東国編』新人物往来社、1981年1月
  • 戦国人名辞典編纂委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年12月
 

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