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質屋の娘が奇術の世界へ。明治末期に美しさと才能で一世を風靡した奇術師・松旭斎天勝とは?

質屋の娘が奇術の世界へ。明治末期に美しさと才能で一世を風靡した奇術師・松旭斎天勝とは?

美しさと才能で、一躍花形に

天一から天勝の名を与えられたかつ。子どものころから大柄で目鼻立ちのはっきりとした目立つ美人であった彼女は、その美しさに加えて天性の才能の持ち主でもありました。

器用で、一年足らずで娘奇術師としてデビュー。16歳の時点で、一座の花形となるまでになりました。

伊藤博文や後藤新平からも人気が

一座は、明治34年(1901年)から3年をかけて欧米巡業に出かけます。そこでも人気を博したといいます。

また、国内でも人気は続いていきます。彼女が27歳のときに、師匠である天一が60歳で死去。すると「天勝一座」の座長として率いていきます。ちなみに、伊藤博文や後藤新平といったビッグネームからも人気が高かったそうです。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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