質屋の娘が奇術の世界へ。明治末期に美しさと才能で一世を風靡した奇術師・松旭斎天勝とは?
明治から昭和初期にかけて、一世を風靡した女性奇術師がいました。その名も「松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)」。奇術とは縁もゆかりもなかった少女が、どのように奇術と出会い、その世界に入っていったのでしょうか。
今回は、そんな松旭斎天勝についてご紹介したいと思います。
質屋の娘が、奇術の世界へ
松旭斎天勝(しょうきょくさいてんかつ)――。華々しい名前ですが、もちろん奇術師としての名前です。彼女の本名は、中井かつ。明治19年(1886年)神田で質屋を営む家族の長女として生まれました。何もなければ結婚して家を出たり、婿養子を取ったり、といった人生だったのではないでしょうか。
しかし、その後の彼女の運命を大きく変える出来事が起こります。それは、家業の失敗でした。立ち行かない状況となり、かつを門前仲町の天ぷら屋「天地」に奉公に出すことに。
ここの店主が、「日本近代奇術の祖」と呼ばれた松旭斉天一(しょうきょくさいてんいち)だったのです。天一に見染められたかつは、彼の弟子となりました。なお、のちに彼の「愛人になれ」と言われたとも言われています。
ちなみに、奉公に出されたとき、かつは12歳(11歳や9歳とする説もあり)だったそうです。
ちなみに、奇術とは手品、マジックのことで、奇術師はいわゆるマジシャンです。
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