入浴中は要注意!源頼家だけじゃない、お風呂が命取りになった源氏の者たち【鎌倉殿の13人】:2ページ目
『平治物語』より、家臣の裏切りで殺された源義朝
……「都の御合戦、道すがらの御辛労に御湯めされ候へ」と申せば、「然るべし」とてやがて湯殿へ入り給へば、三人のものひまをうかゞふに、金王丸御剣を持ちて、御あかに参りければ、すべて討つべきやうぞなき、程経て「御帷子まゐらせよ」といへども人もなき間、金王丸腹を立てゝ走り出でける其のひまに、三人のものども走り違へてつと入り、橘七五郎むずと組み奉れば、心得たりとて取りて引き寄せ、押し伏せ給ふ所を、二人のものども左右より寄せて、脇の下を二刀づゝ刺し奉れば、心はたけしと申せども、「鎌田はなきか、金王丸は」とてついに空しくなり給ふ……
※『平治物語』巻第二「義朝野間下向并忠致心替の事」より
時は平治2年(1160年)1月3日、京の都で平清盛(演:松平健)に敗れ去った義朝は東国へ落ち延びる道中、家人の長田忠致(おさだ ただむね)の元へ身を寄せました。
「何とお労しや……さぞお疲れでございましょう。風呂も立ててございますゆえ、どうか戦さの疲れを落として下され……」
厳寒の折、温かい風呂は何よりの馳走。義朝が心身をくつろげているところ、忠致は息子の長田景致(かげむね。景宗)と郎党の橘七五郎(たちばな しちごろう)の3人で湯屋の裏に潜みます。
「どうせこの先、平家の追手から逃れられやしないんだ。いっそ我らの手で討って、平相国(清盛)様の恩賞に与ろうぞ……」
いかに豪傑といえども、丸腰丸裸であれば討つのもたやすい……虎視眈々と隙を窺う3人でしたが、そんなこともあろうかと義朝は郎党の金王丸(かなおうまる)に護衛をさせていました。
(金王丸はなかなかの豪傑。これでは手が出せぬ……)
しかし待てば海路の何とやら、少し時間が経って、義朝が湯から上がろうと着替えの帷子(かたびら。ここでは肌着)を所望します。
「誰か、誰か帷子を持たぬか!」
金王丸が何度呼んでも、誰も来ません。仕方なく金王丸が取りに行った隙を狙って3人が突入。
「おのれ、裏切ったな!」
果敢に抵抗するも武運もはや尽き果て、義朝はあえなく討ち取られてしまったのでした。